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撮影を振り返って(2)

「縄文vs弥生」展 ビジュアル撮影用衣装製作を振り返ります。(2005年上野科学博物館で開催)

文献を参考にし、自分なりに想像めぐらす。古代の衣類に関しての発掘品の情報はかなり少ない。

まず縄文時代の衣食住については土偶や土器の出土の調査による解釈が多い。それら造形はかなりアーティスティックで、土偶の表情もユニークだ。土偶が纏う衣装は貫頭衣のような首元に切り込み入れたような形状に見える。グルグル丸い文様が目立つ、顔や腕には入れ墨のような線で構成された図案、スカートの下にはパンツ型の衣服が見える。出土された土器には工字文が施されている。この頃から漆が使われていたこともわかっている。赤漆、黒漆が塗られていた土器のかけらも出土している。なんといっても苧麻に赤い漆が塗られた糸玉が出土していることで、当時既に麻から糸を作り撚り、アンギン織りと呼ばれる編み物の手法で苧麻や大麻で衣服を作っていたと推測された。当時から生息していた動物の鹿や熊を狩猟し、食し、皮を衣服として使用する、歯や骨、角でアクセサリーを作っていた。海や川から魚や貝も取り、食し、貝殻でアクセサリーも作った。貝輪と呼ぶブレスレットが出土している。縄文人は飾り立てておしゃれを楽しんでいた。出土品から様々な装飾品が見つかっている。

周りの考古学専門分野の方々から教示を受けたことも踏まえ、縄文時代、弥生時代の衣装デザインをした。しかし広告ヴィジュアルが目的なので、アイキャッチになるよう誇張する。本業がスタイリストなので、薄らファッション性を取り込んだ。

縄文時代の衣装は鹿皮に赤漆の縄の装飾のワンピース、アンギン織り風のベスト、同素材風の短めのパンツに土器のイヤリング、貝と熊の爪と琥珀で構成したネックレスを合わせた。貝輪も本物の貝をカットして作った。じつは自分なりのイメージは宮崎駿監督の映画に登場してくる主人公も重ねている。鹿皮の色の黒は、狩りの時に目立たないよう顔料を刷り込んだり煮炊き後の炭が染み着いたりしたのではないかそのような事からだが、ビジュアルとして、赤と黒のコントラストを狙った。

弥生時代の衣食住は渡来人による米づくりの文化が入って来たこと、その為定住、集落が出来、リーダー格の人物が現れ、卑弥呼の伝説など、土器は縄文時代と変化し縄の模様もなく比較的シンプルなデザイン、「魏志倭人伝」から養蚕が今の中国、朝鮮半島から伝わり絹の織物を身分の高い人へ献上していたことがわかった。

弥生時代の衣装はシルクの巻頭衣を作ることにした。想像で比較的粗野な野蚕の糸のイメージだったので、生成り色である。ファッション要素を入れたくて、少しウエスト辺りを絞って現代風のシルエットにした。その上着に茜で染めたシルク生地で袴のようなギャザースカートを合わせ、ウエストに巻いた細帯は弥生の機織りと似た道具で織る「真田織」が伊豆諸島の新島で織られていたと文献を発見し、新島市の方へ問い合わせ、そこから現在は都内に暮らす技術者、といっても、高齢の主婦の方であったのだが、紹介頂き彼女の作品からお貸し出し頂くことになった。彼女が糸を草木染めし織った帯だ。アクセサリーは出土している翡翠の勾玉、水晶など、殆どのビーズは古代ビーズ収集家の方からお貸りした。

素材を当時に合わせ、現代風にアレンジした衣装が出来上がったがほぼ復元衣装に近いのではないだろうか。


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