見出し画像

23.11.05 自意識と公共性の戦い

銀行に持って行く資料づくりをした。

古蓮とスクリムのそれぞれの活動をどう融合させるのかが課題だと思っていた。
二つの会社の間には仕切りがあって、これはこっち側、これはあっち側、と振り分けるような頭になっていた。

「古蓮の」店舗を拡大させたいという森也と
私は古蓮とは関係ない。スクリムに可能性を感じてるから、スクリムも伸ばしたい、という私。

「二人とも、自意識が強くて、経営意識が弱い」
慶吾さんからの指摘にグサッと来た。

ずっとモヤモヤしていた二人の関係みたいなものの正体だったかもしれない。
それぞれの自我が、無意識にぶつかり合っていた。

森也が古蓮のことしか考えられなくなったときの、私の「スクリムは?」というモヤモヤ。

これは、古蓮と血筋的に無関係の私が、自分がやってきたことが消えて行くんじゃないかという怖さから来ていて、それは自意識の強さだった。

自意識は、周囲の人を無視したもの。共鳴する余地のないもの。
会社は公器であるべき。
会社の存在が多くの人を動かし、社会がより良くなって行く。インパクトのあるもののはず。
この信念によって、人は幸せになる!
があれば、それに共鳴した人が共犯者となり、一緒に未来を作っていくことができる。

自意識は、会社は私物化し
求心力が失わせることになる。
誰が幸せになるのか、周りの人を無視した一方的な願いだから。

会社は手段であって、目的ではない。それをずっと意識してきたつもりだったが、全然できていなかった。
古蓮でも、スクリームも、それぞれ違う資産がある。
自分たちの信念に向かって、これを思う存分使っていけばいい。
どっちでやるかではなくて、どちらも私たちの目的のための道具なんだ。

会社は公共資産だと思った瞬間に、自分たちのエゴがまる見えになっている現状にとても恥ずかしくなった。
同時に、もっと、これ実現できたらみんな幸せじゃん!と自信を持って活動して行きたいと思った。

経営は自我を殺す戦い。
やっと戦いが始まった!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?