化学流産をした話
生理が遅れた。
2人目がほしくて妊活をしていたので、すぐに、もしかして!と思った。
もともと生理不順気味なので、期待半分で妊娠検査薬を使ってみると、うっすらと陽性の線が。
きた!
2人目となると、心に余裕がある。
1人目の時は我慢できず旦那さんにすぐ電話したけれど、今回は表情が見たいし帰ってくるまで待とう。
インターネットで調べて出産予定日を確認した。
2月生まれか、上の子と1学年差の年子だなぁ。性別が同じだったらライバルみたいになるかな?
同じ冬生まれだし育児グッズはほぼ使えるけど、チャイルドシートは買い足しだな、ベビーカーはどうしよう?
7月頃つわりか、旅行の時大丈夫かな?
1人目を妊娠した時の、これからどうなるんだろう、出産痛そうで怖いな、という漠然とした不安やソワソワ感と違って、
またあの感じね!ならこんな感じの1年になるな、とテキパキと頭が働いた。色々考えながら、妊活をして4ヶ月で子供ができるなんて有難いなぁと幸せを感じていた。
妊娠検査薬の色は薄かった。でも、検査が早すぎると薄いことがあることを知っていたし、陰性なら真っ白になることも知っていたので、自分が妊婦であると確信していた。
念の為、3日後にまた検査して、少し経ってから産婦人科に行こう。早く行ってもまだ分からないから。
そう思っていた矢先、出先で下着が濡れるイヤな感覚を覚えた。
まずいかも、と思ってトイレに駆け込んだら、下着が真っ赤に染まっていた。
大丈夫、1人目の時も最初ちょっと出血してたし、ちょっと安静にしておけば大丈夫。
そう言い聞かせながらナプキンを買いに行った。
ついでに妊娠検査薬も買った。大丈夫と証明したくて。
歩きながら、どんどん血が出てくるのが分かる。
腰も痛くなってきて、生理が始まったと感じ初めていた。
トイレに着いた。座った途端、便座が真っ赤に染まった。
やはり、いや、でもまだ可能性はある。
念の為、検査をした。
まだお腹の中でしがみついている子がいるかもしれない。私だけ諦めてはいけない。
結果は真っ白、陰性だった。
あぁ、もうお腹にはいないのか。
ダメだった。
どこか寂しくて、どこかに流れていってしまったことが申し訳なくて、思い描いた計画が白紙になったことに呆然とした。
トイレから出たら、上の子がベッドでご機嫌に寝転んでいた。
あぁ、この子は奇跡だったんだな、と思った。
分かっているつもりだったけれど、初めてちゃんと分かった。
赤ちゃんと、旦那さんと、私。
奇跡みたいな家族だと思った。
大事に、大事にしよう。
目の前にある、抱きしめられる幸せを、大事にしよう。
夜、あの陽性はなんだったのだろうと調べて、きっと私は化学流産したのだろうと結論づけた。
次の日、私たちは桂浜に行った。
太平洋の海は、いつも眺める瀬戸内海の海より広くて荒くて、力強かった。
月並みだが、海に比べたら私なんてちっぽけだなと思った。
流れていった卵ちゃんなんて、もっとちっぽけだと思った。
あの子はこの海に帰っていったんだと思った。私と家族の厄を拾って、海に帰っていったんだ。
ありがとう、会ってみたかった。
ありがとう、今ある奇跡を教えてくれて。
3日間の妊婦生活、とても幸せだった。
2月に生まれるはずだった子は、今も幸せに海を泳いでいるだろうか。
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