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掛け算を出来ない私が、ゴリゴリの理系を選択したワケ

小学校の頃、掛け算が大嫌いになり、しばらく掛け算が出来ない子でした。
そんな四則演算もままらななかった私ですが、大学・大学院の専攻は航空宇宙工学です。

…いったい何があったの???笑

小学校時代の思い出① ~九九の暗唱で掛け算を大嫌いに~

算数自体は好きだったものの、掛け算の授業で「九九を、発音を間違わずに暗唱する」ことを強いられた経験をキッカケに、一時、掛け算を大嫌いになっています。嫌いどころではなく、”大”嫌いです。
「しちしちしじゅうく」を「しちしちよんじゅうきゅう」と言ってしまい、学校の先生からやり直しを命じられたときに、

「うわぁ・・・ムリ・・・」
発音どうでも良くない…?何のためにやるのこれ…?

と感じてしまった小学生の私。
今振り返ると、子供の頃からWhyがないことをやるのが大嫌いで、小学校の形式的な授業が全く合わなかったのだと思います。

小学校時代の思い出② ~割り算を勉強してハマる~

掛け算を大嫌いになり、全く勉強しようとしなかった私ですが、ここで親が機転を効かせます。

親「あっそうか!掛け算は諦めて、割り算を先に勉強してみたら良いのでは?」

そう、この頃はまだ、掛け算と割り算が表裏一体の関係であることなんて微塵も知らなかったのです。掛け算と割り算は別物と思っていたんですね。
教科書の順番を無視して、というより、教科書そのものを無視して、ネットやらなんやらで拾ってきた問題を使いながら割り算を勉強をしてみたら、それはもう楽しくて。
そのため、通常の小学校のカリキュラムとは逆で、掛け算より割り算を先に理解しています。

そんなこんなで割り算を勉強している内に、

「あれ、もしかして掛け算って、割り算と表裏一体の関係なのでは?」
「こんな関係になってるんだ!面白い…!」

と気づいたのでした。それ以来、掛け算に対する嫌悪感もきれいさっぱり消え、一問も解けなかった掛け算の問題も無事解けるようになり、やっぱり算数は楽しい、というところに戻って来られたのです。

興味・関心は強力な武器だ!

そんな経験を経て数学の面白さや美しさを実感するようになり、大して得意な科目でもないのに、高校生になっても相変わらず数学は好きな教科の一つでした。
授業で「この公式は受験で良く出るので覚えてください」と言われたものも、昔なら「何のために覚えるんだよ、ふざけんな。受験のために勉強してるんじゃないんだよ!」と思って嫌いになっていたかもしれないのですが(笑)、

「どんな背景で出てきた式なんだろう」
「なんでこれは、数学でも物理でも頻繁に登場するんだろう」

ということが気になり始め、授業も教科書も無視して色々と考えたり、調べたりしていたことを覚えています(先生方ごめんなさい)。数学をきっかけとして、理系科目にも興味を持つようになり、結果として、大学は工学部を選択しました。ここの経緯は書き始めると長くなるので今回は省略。

興味・関心は強力な武器なんだな、と実感しています。
あんなに掛け算嫌いだったのにな…。笑

なお、大人になった今も、興味のあることは時間を取ってゴリゴリ勉強・実験しますし、興味のないことは仕事であっても全く集中出来ません。笑

脱線しますが、興味のあり/なしで集中力が変わることに関して、周囲の人の反応は
A. 全く理解出来ず、どうにかやらせようとする
B. 全く理解出来ず、諦めて放置
C. それぞれの興味や才能を活かせるようなチームにしようとする
くらいに分かれます。

組織・チーム作りも、私自身とても興味がある分野で、どうすれば C を実現出来るか、日々トライしてみています。

補記)学校教育における学びと、自身の興味・関心による学びは違う

この経験から、学びに関して思うところがあります。

一言で言うと、子どもの頃から、興味・関心で学んでいける環境が必要ではないか、そのためには多様な価値観や文化に触れる機会が必要ではないか、ということです。(一言で言えていない)

多くの場合、子どもの頃は、家と学校が世界の全てです。
だからこそ、一定の年齢に達すると、家を出てみたい、学校を出てみたい、という強い欲求が生まれ、それが原動力になったりもします。でも、もっと早い段階から、家と学校以外の価値観の世界に触れられたら、どんなに世界が広がって楽しいか

今の日本の学校教育は、
・標準化されたカリキュラムを実施、統一的な基準で評価
・知識やノウハウ獲得を重視(WhyよりもHowを重視)
・答えを知っている先生が、答えを知らない生徒に教えるという関係性が前提
といった傾向があり(勿論そうでない学校もあると思います)、個人の興味・関心を刺激して引き出したり、個人の理解度に合わせるようなことは希だと思います。

念のため断っておくと、「今の学校教育はだめだ!」という話をしたいわけではありません。学びは、従来の学校教育だけでは足りないということを伝えたいだけです。

子どもの頃は色々と吸収出来る時期でもあるため、異なる価値観からの刺激が増えれば、その分、自分の興味を発掘する機会が増えるはず。興味を発掘出来る機会を作っていきたいなと思っています。

どういう教育のあり方が良いかは、まだまだ勉強中。

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