こんなにも言葉が伝わらないのか、と絶望した。 言っていいことと悪いことの区別もつかないのか、と落胆した。 父は私が自殺未遂した時、警察に通報する覚悟はできているという。ではあとは私が死ぬだけなのか? 私と弟が父を責める言葉を口にしていいのか逡巡し、二人して沈黙を選んだその間、その強さを、父は「言い返せなかった」と、私たち子どもの弱さだと、そう捉えるのか。 母は自分が無くしただけの私の貯金通帳を、私が盗んだのではないかと疑った。そんなこと、できるならとっくにして
就職活動真っ只中で迎えた春である。 今年の内定率は尋常ではないらしいが、私は就職活動をはじめたのが3月だったこともあって未だ内定とは程遠い場所にいる。 しかも学校では何をやっているかといえば文学研究の大学院生である。自分ではこの学問に誇りを持っているし、この道に進んだことには意味があると感じているけれど、社会に身の置き場がないような、暗澹たる気分になる。そんな気分で、就職活動もまた落ちたり受かったりを繰り返して一喜一憂の連続である。正直もたない。 ただ、私にとって
安楽死制度の是非が社会問題化して久しい。これは、超高齢社会と新自由主義が化学反応を起こして、当然の問題として我々の前に横たわるようになったといえるだろう。 新自由主義、ネオリベラリズムとも呼ばれるこの思想は、良くも悪くも現代社会に浸透している。 私は、新自由主義について語る時、「自己責任の思想」という言葉を使ってしまう。これは私が大学の教授に教わったそのままの言葉で、要は受け売りしているのだ。 私たちは「自由」であり、「不自由」である。基本的には職業も、配偶者も、持
わたしは今、大学四年生だ。それはつまり、多くの人にとっては来年から社会人になる、ということを指すと思う。でも、わたしはそれを選ばなかった。 なんでなんだろう? と思う。 私は中学生、高校生の頃から、国語の教師になりたいと思ってきた。小学生の頃から、友達に「先生になりなよ」と言ってもらうことも多かったし、何より国語が好きだったのだ。国語の問題を解くときはいつも脳みそが燃えている感じがして、心がワクワクして、楽しくて仕方がなかった。私の解答を見て、目を見張る先生たちの姿