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美しい自分になる(ピンクの色眼鏡をかけると世界はピンクに染まる)

「ピンクの眼鏡をかけてると、世界はピンク色に見える」という喩えが好きな花留さん。

自分に偏見があると気づくと、「今、自分は何色の眼鏡をかけているのだろう」と考えるようにしている。

何故なら、私たちは自分では意識していなくても、誰もが偏見の目で相手を見てしまう。つまり、みんな自分のオリジナルの色眼鏡をかけているのに、ずっとかけているから馴染んでしまって、色眼鏡をかけていることすら忘れてしまっている。

と言うか、色眼鏡の存在すら気づいてない。

でも、これは仕方がない。偏見を「よし」とする訳ではないが、私たちの脳の情報処理能力にも限界ってものがあるから、不可抗力な部分もあるらしいのだ。

私たちの脳が受けとる情報は、毎秒約1100万ビットになるらしいけれど、意識が処理できる情報は毎秒わずか40ビット程度。

要するに、私たちが取り入れた情報の大半が無意識のうちに処理されている。ほぼ、意識せずに処理していると思うと、ゾッとする。

この状況を「認知的過負荷」と呼ぶらしい。

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花留さんは、やったらあかんと思いながら、ついやってしまうのが「決めつけ」だ。

他人に決めつけられたらムカつく癖に、他人への態度を偏見にもとづいて決めてしまう。

自分でも意識してなかったけれど、どうも、花留さんには、太った人は怠慢でズボラとか小柄な体格の人はデカイ車が好きなはずだと思い込んでいるところがある。

たぶん、これまでに太った怠慢な人が自分のまわりにいたし、大型車から降りてくる背の低い男性を見たことがあったので、無意識のうちにショートカットで情報処理をしていたのかもしれない。

ショートカットは、限られた情報を元にして短時間で判断を下すときには役に立つ。

看護師として働いていたときも、思い込みはダメだが、救急車で何人もの患者さんが運ばれて来たときは、脳はショートカットを行いながら次々と判断を下していたのだろう。

ただ、同僚の男性看護師は生活保護を受けている患者さんをみると「働け」と喧嘩を吹っ掛ける困った奴で、彼の脳内ではきっと、「生活保護の受給者」⇒「怠慢」⇒「働け」みたいな間違ったショートカットのせいで、不遜な態度に繋がっていた気がする。

まあ、彼は自分のショートカットが間違った偏見とは思ってなかったみたいだ。

彼は彼の信念を信じて行動しており、その信念のために職場を転々としていた。転職は、彼の選択であり彼の責任であり、素直に従う彼はどことなく可愛かった。彼氏には絶対に向かないけれど。

自分の脳が勝手にショートカットをしているからと脳に責任転嫁をするのではなく、脳の持ち主である自分が、まずは自分の無意識の偏見について知らないといけない。

だから花留さんも、デッカイ大型車が好きな大柄な人もいれば、コンパクトな車が好きな小柄な人もいる。相手のアイデンティティは無意識のうちに、その人のことをどう感じるかに影響を与えることを忘れるな!と、日々、自分の色眼鏡を磨きながら肝に命じている。

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決めつけはダメだけれど、それでも、やはり誰もが無意識に偏見の「色眼鏡」をかけていると思う。うむむ、決めつけだ~。

それでも、自分だけは偏見の「色眼鏡」をかけていないという"思い込み"は捨てないと、知らず知らずのうちに無礼な態度をとってしまう恐れがある。

こんなときに役に立つ質問がある。それは、「本当に?」と自分に聴いてみることだ。

「でも、それって本当に?」

花留さんも使っているが、一人で出来るので案外、手軽で役に立つ質問だ。