美しい自分になる(与えることができる人は美しい)

自分のリソースって、何だろう。

看護師の花留さんのリソースは、看護の知識とか技術、リンパドレナージのスキル、役に立つか分からない雑多な知識や情報、これまでの経験。それと、時間かな。

あっ、海外でのサバイバル的なアドバイスはできそうな気もするけれど、サバイバルしたのは令和の前だから旧式かあ。

人脈なんてないし体力もない。老後に困らない程度の貯金はあるけれど、お金はそこそこ人並みに行動ができるようにメンテナンスに使いたい。

花留さんは、事故の後遺症で左半身が痺れていて、握力がめっちゃ弱い。頸椎手術の後、おとなしくしてなかったので頸椎が曲がってしまったからだ。慢性的な肩こりもある。

でも、見た目は普通だし、普通でいたいし、普通に見えるためにメンテナンスが必須だ。

やはり知識と経験、そして時間が他人に与えることができる私のリソースだ。

それらのリソースを有効に活用してもらい、他人の人生に自分という人間の痕跡が横糸となって織り込まれたなら、最高にハッピーな気分になれそう。

他人に何かを与える人には、何も与えない人よりも多くのものが残ると云われている。

いつも自分のことだけを考え、自分に意識を集中させて生きる。それも一つの生き方だし好きにすればいい。

でも、自分に意識を集中させながらも、まわりの人にも気配り、目配りして、困っている人がいたら手助けに時間とエネルギーを割くのはどうだろう。

きっと、巡りめぐって自分にハッピーが巡ってくることだろう。

花留さんの友人に、「これ、やるき」が口癖みたいな女性がいて、一緒に夜勤をすると、腹パンパンになるくらいたくさんの夜食やらお菓子やら買ってきてくれた。

シングルマザーでお子さん2人を学校に行かせており、副業として別の病院で夜勤をやって稼いでいたので、正直、貰うのは気が引けたけれど、「やる」のが彼女の楽しみのようだった。

そして、彼女の人生は何故か、いつも潤っていた。

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ペンシルベニア大学ウォートン校のアダム・グラントは、著書『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』に、ビジネスの世界における「与える」ことの効能を説いているけれど、「与える」ことの重要性はビジネス以外の世界でも同じことだ。

「与える人」の彼女は、彼女を取り巻く友人たちと深く広くそして長期に渡って交流し、豊かな人間関係を築いていた。

自分のリソースを他人と惜しみなく共有し、分かち合うことを喜びとする彼女は、自分の存在に意味を感じることができていた。

もしも、彼女のリソースと自分のリソースの量を比較したら、きっと自分の方がたくさん持っていることだろう。

でも、個人がどれくらいのリソースを持っているかではなくて、どのくらいのリソースを他人に分け与えることができるかが重要で、そこが彼女と花留さんのハッピー度の違いになっている気がする。

どう見ても、自分の方がリソース持ちなのに彼女の方がたくさんの人に囲まれて、いつも笑っている。

強いて言うなら、彼女は一人でいることへの不安が強くて、孤独になれない。ところが、花留さんは一人でいる方が好きだし、孤独な時間が好きだ。

何だか、幼い子どもが自分の玩具を一人占めして、ひとり遊びを楽しんでいるみたいで、まるで成長してない自分がいる。

でも、これも自分が選んだので、まあいい。

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グラントは他の2人(クロスとレベル)と、300以上の企業を対象として調査を行った。

その結果、企業内で行われる協調行動の全てに価値があるわけではないことに気づいた。

リソースには、共有して価値を生み出す可能性のあるものと、そうでないものがある。

つまり、誰でもかんでもに、何でもかんでも与えれば良いという訳ではなく、リソースの与え方も大事だということだ。

彼らによると、リソースはざっくりと3つに分けることができる。「情報的リソース」「社会的リソース」「個人的リソース」だ。

情報的リソースとは、専門知識や専門技術のことであり、社会的リソースとは、その人が持つ意識や立場とか。

もし、自分の親戚に政治家とかお偉いさんがいたら、桜を見る会のチケットも入手しやすかったのかもしれない。社会的リソースとは無縁な花留さんだ。

個人的リソースとは、その人が持つ時間とかエネルギーのことを主として指す。

3つのリソースの中では、情報的リソースと社会的リソースは1度、分け与えたらいい。リソースを受け取った方も返す必要もなく、ずっと自分のリソースとして利用できる。

リソースを与えた方も、知識や情報を与えたからといって自分のリソースが減るもんでもない。何とも効率的だ。

ところが、時間やエネルギーという個人的なリソースは有限だ。与えれば与えるほどに、自分のリソースは減っていく。

だから、セコい(笑)ではなく、自分の大切な限られたリソースをより良く活用したい花留さんは、他人の個人的リソースを搾取しようとする人間はどうも苦手だ。

どうも自分が大事にされていないみたい。

ん?もしかしたら、昔の自分は「NO」が言えなくて、相手が望むだけの様々なリソースを与えてしまっていた。だから、与える加減が分からずつい与えすぎて、搾取された気分に勝手になっているのかな。単にケチなだけ?

まあ、「与えてくれ~」と言ってくる相手の言いなりになって、自分が持っているリソース以上を与えてしまうことは避けよう。

与えている自分を美化して、貢献していると勘違いしている人がいる。与えられるくらい余裕があればいいけれど、全て搾り取られて心身ともに消耗しては本末転倒だ。

もしも、自分には、他人に与えられる情報的リソースも社会的リソースもないから個人的リソースをやるしかないと思い込んだり、借金してまで与えるようなアホな真似はしないこと。

たとえ、与えるものが無くても、「頑張れ!信じてる!」というエールを送ればいい。

エールはどんだけ送っても無料(ただ)だ。