朝から湯浴み
かげろふや夜勤帰りの朝湯浴み
陽炎は春に限らず見られるものですが、その長閑な感じから春の季語になっています。
夜勤明け、何にもない平穏な夜であっても、やはり気が張るものです。
本物の陽炎なのか、それとも、疲れが見せる陽炎なのか。朦朧としながら運転して帰宅、少しだけ猫の相手をしてお風呂に入ります。
一晩中、暇をしていた猫はいっしょに風呂に入ります。浴槽の縁に座って、うつらうつらしている猫の姿には癒されます。
糸遊の重み感じる夜勤あけ
どうも陽炎と同じものらしいのですが、江戸時代の歳時記「栞草(しおりぐさ)」には、地表より昇るのが「陽炎」、空にちらつき、また降るのが「糸遊」と紹介されています。
夜勤疲れの身には、糸遊が肌に絡まりついたかのように、重たく感じるものです。
それにしても、日本語って本当に美しいし、遊び心のある言葉です。美しい言葉、聞いて心地のいい言葉で話していると、トゲトゲとしていたわたしの心もまるくなります。
みんな、もう少しだけ、使う言葉を意識してみる、心地よい発声をしてみる。それだけで世界はやさしくなれる気がします。
--ちょっとボヤキ--
ある人が、伯母の困り事を書いていました。それが、結婚もせず子どももいない伯母の話と書いてあり、耳が痛い話でした(苦笑)。
わたしが自分のことを自分でやれなくなり、姪や甥に世話になることがあったら、こんな風に書かれるのかしら。
たかが言葉ですが、そのチョイスによって、結婚していないこと、後見人となる子どもがいないことを責められているようです。
事実は、結婚していない、子どもがいない。
それで間違ってないんですが、妙なところに絡むのは疲れてますね。
湯浴み~湯浴み~