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ひと恋ふ春日傘

「お年寄りには、そうそう~と共感しとけばいいのよ」という、同僚の声が耳に張り付いている。

相手が年寄りだろうが子どもだろうが容赦をしないわたしは、共感力が足りないようだ。

ただ、確かに共感力は足りないかもしれないけれど、相手を同等の人間として捉える力はあると思っている。

でも、人間関係をうまくやる才は欠けているようだ。

昨日、お年を召した看護師がいたのだが、「よしよし」しないわたしに対して、眉間に皺を寄せていた。

よほどチヤホヤされることに慣らされているようだ。わたしは、どうだろう。

お年寄りとして、やさしく扱われたいのか、人として、対等に扱われたいのか。

そんなことを悶々と考えた、夜勤でした。
では、気を取り直して今日もエイエイオー!

久しぶりの登場(猫のマール)


余生とてひと恋ひ惑ひ春日傘

(よせいとて ひとこひまどひ はるひがさ)

季語は「春日傘」です。

晩春の頃から日差しが急に強さを増します。すでに人生の晩春に差し掛かろうとしているわたし。その余生の合間ですら人を恋うことだってありますし、心が惑うことだってありますよ、という句です。

でも、みっともなく狂い咲きはしませんよ。春日傘をさして、視界を確保して、ちゃんと見定めてみせます。


庭先のしよさ慎ましき花菫

(にわさきの しょさつつましき はなすみれ)

季語は「花菫」です。

家の庭には、昔、父と山から持ち帰った菫の花がたくさん咲きます。種が落ちて、年々、数も増えています。

「しよさ」とは所作のことです。花菫たちが慎ましく並んでいる姿は、なんだかとっても微笑ましいもんです。

でも、所作が慎ましい花菫って?と言われるのがオチですかね。

慎ましやかな花菫


雨水日や草の伸びるをうちで見む

(うすいびや くさののびるを うちでみむ)

季語は「雨水」です。この季語で、しぶとく詠んでいます。早くしないと、雨水の期間も終わります(苦笑)。

まだまだ肌寒い雨水日、暖かい家の内から、雑草が芽を出すのを眺めています。

草引きをしなくてはなりませんが、やる気が出ません。これは良い兆候でもあり、逆に、悪い兆候でもあります。

草引きをするという、現実逃避の必要がないということであり、そして、現実逃避をする馬力すらないということ。

でも、よく考えてみると、以前は雑草を引くことで現実逃避をしていて、心を整えていました。今は、俳句とヘタウマな絵。

せこせこと詠んで、描くわたし。それなりに現実逃避しつつ、整えているわたしがいる。

しよさ慎ましく現実からの逃避。


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どこかのテーマパーク

右端の木が残念な出来上がりとなりました。でも、力尽きたのでまあ、よし!とします。

ところで、絵を投稿し始めて70日。ヘタウマ目指しているわたし、進路よし!