のいち動物園に行ってみた
秋晴れや麒麟の首は骨八つ
どっちかというと、水族館のほうが好きだ。野生動物が嫌いという訳ではないが、野生の動物特有の臭いが鼻につくようになった。
猫や犬を飼っているが、彼らは野生を手放すことで人間の保護下に入っており、犬猫用のシャンプーの香りがする。
可哀想な気もするが、人間好みの匂いになることで、美味しいご飯が食べれるし、安全に暮らせるのだし「まあ、えっか~」と思っているのかもしれない。
以前、我が家にいた犬のポッポは風呂が好きというか、綺麗好きだった。散歩から帰って足が汚れていたら、背中にタオルをのせて、風呂に直行した。
三助のあたしが来ないと「ワン」とひと鳴きして、さっさと洗えと催促した。
野生を手放したポッポだが、別に可哀想とは思わなかった。飼い主であるあたしの財布の紐をゆるめる、あのうるうるした瞳、あれは後天的に獲得というよりも、人間との長年の共同生活で、彼の遺伝子に組み込まれたものだろう。
彼のご先祖さまが長い年月をかけて獲得してきたものを彼もちゃっかりと利用、あたしの愛を奪っていったということだ。
ポッポは亡くなって久しいが、今も忘れずにいるのは、動物の遺伝子が「うちらを大切にせんとあかんよ!」と、人間の良心の心根を育てているのかしら。
なんて、久しぶりに亡きポッポを偲びながらキリンやシマウマを眺めた。動物園、大阪でデートしたときに行った以来だ。
それにしても、日本人は真面目だ。炎天下の動物園、客もまばらだし、動物園も広いのでマスクは不要だろう。でも、ほとんどの人がマスクをしていた。
日傘をさしたあたしは、トイレに入るときはマスクをつけたが、園内ではノーマスク。
日本の開国は、まだ先のようだ。そうそうに動物園をあとにして、馴染みの喫茶店へ移動した。
ランチして、猫のマールの引力に引き寄せられるように、帰路についた。あたしのなかの猫従属願望の遺伝子、恐るべし。