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いつのことだか、思い出してごらん


浜防風はまぼうふう父母も砂も居なくなり


わたしの家から車で10分ちょっと、ドーンと大平洋があります。

子どものころは、砂浜に下りてから波うち際までは距離がありました。

雄叫びをあげながら、波うち際まで走ったものです。でも、今では雄叫びあげる間もなく海です。

たったの四半世紀、砂も失くなり、あちこち自生していた浜防風も失くなり、両親ともに亡くなりました。


つばくらめ去年の馴染みが去年の巣に


毎年、よほど気に食わないことがない限りは同じ巣に戻ってくる燕たち、去年の馴染みのツガイが、去年の巣に戻ってくる。何だか、信頼関係が出来ているみたいで、嬉しいものです。

糞が落ちてこないように、雛が天敵に襲われないように、巣の下には板を打ち付けたり、傘をぶら下げたりしています。


つばくらや終日ひねもす飛ぶを眺めけり


せっせと巣作りして、餌を運んで雛を育てる燕たちを、わたしは終日、ぼぇ~とのんびり眺めているという句です。

近所に田んぼがたくさんあって虫もいるし、燕も餌に困らない様子で、何分しないうちに帰ってきます。

それでも、蛍は姿を消してしまい、幼い頃に竹箒と虫籠を持って、蛍狩りをしたのは遠い昔のこととなりました。

竹箒をひと振りすると、たくさんの蛍が箒にくっついて、まさに一網打尽状態でした。

取ってきた蛍は蚊帳に放して、光を楽しんだものです。残酷ですが、綺麗でした。


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ちょっと渋くないですか。いつも俳句の突っ込みを入れてくれる先輩は、絵と句が連動しています。

いつも絵と句が解離しているわたしですが、今回はつばくらめを描いてみました。

好きなことに、心地よいことに、誰もが少しずつ没頭したら。少しだけでいいので、いい方向に意識を分散できたら、世の中、少しは居心地がいい場所になれるのかしら。

わたしの荒い気性でも、絵や五七五に意識を分散することで、随分と平安なんだけどな。

わたしの好きではない言葉に、戦う、闘うがあります。戦闘、闘病、勝敗を決めるものは嫌ですね。

戦争に勝つって、病気に勝つって、そりゃあ負けるより勝つ方がいいと思うけれど、それでは、相手が負けて傷ついているし、病気に負けたわたしはダメな奴なのかな。

戦ったりしなくても、ただ生きているだけはダメなのかな。

ただのぼやきです。