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逃げる

逃げて怒られるのは 人間ぐらい
ほかの生き物たちは 本能で逃げないと 生きていけないのに
どうして人は
「逃げてはいけない」
なんて答えに たどり着いたのだろう

産経新聞 2016年7月28日 『朝の詩』より
森田 真由「逃げ」

上の詩は、13歳の女の子が新聞に投稿したものだという。

僕が思うに、人間だけが「逃げる」という行為に何らかの意味を与えようとするのではないか。
「困難から逃げるな」と言う人がいれば、「嫌なことからは逃げていい」と言う人もいる。
古くは「生き恥を晒すくらいなら死を選ぶ」のが武士の誉とも言った。
三陸の「津波てんでんこ」も薩摩の「捨てがまり」も、どう逃げるかの哲学をそれぞれ示唆しているように思える。

動物は、逃げることを何とも思っていないはずだ。
「生き延びることを最優先に行動しろ」というプログラムが遺伝子に組み込まれていて、そこに何らかの意味が介在する余地はない。全体を活かすために個を犠牲にする動物も中にはいるけれど、それだって自然選択の結果に過ぎない。

どうして人間だけが、逃げることに対して意味を求めたがるのだろう?

僕の人生は逃げの連続だ。
その始まりは、物心もつかない幼少の頃。
家族で海辺に行った時、砂浜の波打つ音が自分を飲み込んでしまうように感じられて、恐怖から渚から遠いところまで走って逃げた。

それからは、数えきれないくらい逃げた。
自分に向けて飛んでくるボールが怖くて、グローブで顔を隠した。
危害を加えてきそうな同級生の目に止まらぬよう、顔を合わせないようにした。
「どうせ俺には無理だ」とハナから諦めて、幾つもの好機を見過ごしてきた。

逃げることはしばしば、ネガティブな意味合いで語られる。

有事でもない限り、現代日本で生命の危機を感じる機会はそうそうない(と信じたい)。そうした環境では、逃げることのデメリットの方が大きくなる場合がある。

そもそも僕らは「逃げてばかりいたら経験値が貯まらなくて、ストーリーを先に進められなくなるよ」と教えられて生きている。まあそういうことだよ。

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