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運命とは 〜二組の天才コント師〜

 僕は、長いこと「お笑い芸人」に憧れていた。
 何がきっかけかは正確に覚えていないが、小学校4年生の頃にはクラスメートとテレビで見たショートコントなどの模倣をしたり、親父のワープロを使って自分でネタを作っていた。当時ワイドショーで話題になっていた異物混入事件などの小学生らしからぬ時事ネタを書いて相方とケラケラ笑いあったのを覚えている。

 中学生になり、さらにお笑い熱は加速。スキー教室では現在でもたまに交流のある坂詰という相方と初の完全オリジナルの長尺コントを披露した。
 この時、前年に離任した職員からのメッセージをネタ前に読み上げて同級生達のテンションを上げるという工夫をしたのだが、いわゆる「客席を暖める」ということを中2でなんとなく理解していた自分が、今考えると少し怖く感じる(おかげで気持ち良い程の大爆笑で終わりました)。

 そんなお笑い芸人を目指していた僕の中で、特別とも言えるコンビが二組いる。
 どちらも僕のお笑い好きを語る上で欠かせない二組なのだが、つい先日、この二組に数奇な交わりがあったことを知った。

 今回はその二組の紹介と共に、どういった数奇な交わりがあったのかを書かせていただきたい。

「ツインカム」

 まず一組は「ツインカム」
 1993年に結成、東京吉本に所属していたコンビである。地上波での露出は多くなかった為、初めて名前を聞く人も多いかもしれない。

 ツインカムは僕が小学校〜中学校当時、NHKで深夜に放送されていた爆笑オンエアバトルという審査形式のネタ番組で無敗の連勝を誇っていたコンビだった。

 ボケの島根さんが「サダ子」という奇怪な女性役を演じるシリーズが、とにかく面白かった。自由奔放なネタを繰り出す島根さんに対し、小気味良いテンポでツッコむ森永さんとのやりとりは「痛快」以外の何物でもなかった。
 ちなみに僕の兄貴も姉貴もツインカムが大好きで、オンエアバトルの次回出演にツインカムが出ると伝えると、兄弟で大はしゃぎしていたものだ。

 オンエアバトルのチャンピオン大会の常連となった人気絶頂の中、2001年にツインカムは解散。
 コンビ間の不仲に加え、ツッコミの森永さんが「芸人を辞めたい」と発したことが解散理由だった。
 
 解散後、ツッコミの森永さんは芸人を引退し、サラリーマンとして生きる道を選ぶ。その後、島根さんはピン芸人として活動していたが、吉本興業との意見の相違により退社、数年間フリーとして役者を目指しながら一人での活動を続けていた。現在では「しまぁ〜ん共和国」という劇団を設立し、座長として舞台や映画制作に取り組んでいる。

「フォークダンスDE成子坂」

 そしてもう一組が「フォークダンスDE成子坂」

 このコンビは、僕と同じ世代の方ならコンビ名程度は聞いたことがあるかもしれない。

 現在でも第一線で活躍する爆笑問題や海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)、ネプチューンを輩出した「ボキャブラ天国」において、「コギャル殺し」のキャッチフレーズで前衛的なネタを披露していたコンビである。

 「元々の言葉をもじりながら笑いを取る」というボキャブラ天国におけるルールを完全にすっ飛ばしたネタは、審査員から絶賛されることも多かった。

(個人的には「パンダ、笹を食う」がお気に入り)


 当時、我が家では「パーフェクTV(現在のスカパー!)」という衛星放送を契約していた。往年の名作映画を延々と放送するシネマチャンネルや、囲碁・将棋・ゴルフなどの趣味・娯楽チャンネルなど非常に様々なジャンルを放映していたのだが、その中に「お笑いチャンネル」というものがあった。

 その時、たまたま録画したのがホリプロお笑いライブでのフォークダンスDE成子坂・ネタ特集番組である。
 「ドラえもん」「催眠術」「彼女のお兄さん」「ショートコント集」の4本が放映されていたのだが、これに度肝を抜かれた。

 中でも「ドラえもん」は、ただ青い手ぬぐいでほっかむりをしただけの桶田さんが少年役の村田さんを振り回すというネタなのだが、このボケが本当に前衛的で、ドラえもんなのに「バケラッタ!」と返事をしたり、苦手であるはずのネズミをローキックで退治したりなど、中学生当時の僕には刺激的すぎる内容だった。

 たまたま録画していたのが本当に幸運で、友人を家に呼んで一緒に見たり、ネタの一部を学校でやってみたり、それまで地上波で放送されているダウンタウンやウッチャンナンチャンのコントしか知らなかった僕には余りにも大きな影響を及ぼした。
 現在活躍しているコント芸人のほとんどが彼らに影響を受けていると言っても過言では無いかも知れない。

 フォークダンスDE成子坂は1999年に解散。僕が彼らを知ったのが98年頃なので、その後わずか一年で解散することになる。
 公には「桶田がバンド活動に専念するため」というのが理由とされているが、本人の談によると「コンビのすれ違い」そして「事務所への不信感」だったという。
 解散後、桶田さんは本格的にミュージシャンに転向。ツッコミの村田さんはしばらくピン芸人として活動した後、2005年にソニー・ミュージック・アーティスツ(SMA)に所属。元坂道コロンブスの松岡さんと「鼻エンジン」を結成。結成間もなくエントリーした2005年のM-1グランプリでは準決勝進出、先述した爆笑オンエアバトルでもオンエアを勝ち取るなど、漫才コンビとしての活躍を目前としていた…はずだった。

天才コンビの終焉

 フォークダンス解散後、ピン芸人を経て新たにコンビを結成し、また漫才師として活躍の場を広げるのであろうと期待していた矢先のこと。
 2006年11月、村田渚さんがクモ膜下出血により、35歳という若さでこの世を去ってしまう。
 数日前より周囲の芸人に頭痛や目の充血を訴えていたという。
 あまりこの言葉を使うのは好まないが「まさにこれから」という時だった。
 バイきんぐの小峠さんは同じSMAに所属しており、尊敬していた先輩の死にしばらく立ち直れなかったとブログに書き記している。
 (チャーミングじろうさん「芸人生活 第三十八話 桃」)

 後日営まれた葬儀には、馴染みのあった作家や芸人仲間が参列。
 元相方の桶田さんは号泣、憔悴しきっていたと二人と交流が深い作家がブログでその様子を語っていた。

 その後、桶田さんは放送・構成作家として活動する傍ら、各SNSで情報の発信を続けた。アメブロではその時のテーマに沿ったラジオを投稿するなど、裏方のみならず声での活動も行なっていた。

 しかし…その桶田さんも2019年11月、病気によりこの世を去ってしまう。
 10年程前に大腸癌を患い、一度寛解したものの再発してしまったらしい。
 本人が奥様に「オレが死んでも誰にもいうな」と伝えていたらしく、発表は2020年の2月となった。

 早すぎる、あまりにも早すぎる天才コンビの終焉だった。

数奇な交わり

 僕にとってこの「特別な二組」が、数奇な運命によって繋がっていたことをつい最近知った。

 ツインカムは吉本興業、フォークダンスde成子坂はホリプロと、コンビ時代はそれぞれ違う事務所に所属していたため、接点は少ないと思っていたのだが、思わぬ所で歯車が合っていたらしい。

 それは両コンビが解散して数年後。
 島根さんと村田さんがピン芸人として活動していた時の話である。

 島根さんは吉本興業退社後、その実力を認められていたために他事務所や舞台関係者からの仕事の依頼があり、表舞台での活動を続けていた。
 その仕事のひとつに若手お笑いイベントのMCがあったのだが、そこで村田さんと一緒にMCをやることになったのだという。

 元々フォークダンスDE成子坂のファンだったという島根さんは、事務所の隔たりなど関係なく接してくれる村田さんをとても慕っていたという。
 ツインカムとフォークダンスDE成子坂、どちらも「ド」が付くほどのバリバリのコント師。お互い惹かれ合うものがあったのかも知れない。

 それから二人の距離は急接近し、島根さんが「コントやりましょうよ」と渚さんを誘い、即席ユニットではあるが二人でネタを作ってコントライブを開催した。
 客席のウケも良く、演じている本人達も楽しめた最高のライブになったという。そのライブ後、しばらく二人でのコントは鳴りを潜めてしまったが、二人の交流は続いていた。

 そんな中、突然渚さんが島根さんにこう言ったという。

 「島根くん、本気でコンビ組まへんか?」

 告げられた島根さんは、「とにかく嬉しかった」という。
 憧れの先輩から持ちかけられたコンビ結成のお誘いだったが、島根さんはそれを受け入れることが出来なかった。
 当時、島根さんはフリーとしてMCやピン芸人としての仕事をしながら、俳優事務所に所属が決まったばかりで、自由に動けなかった、というのがその理由だった。

 二人でのコンビは実現しなかったものの、その後渚さんは元坂道コロンブスの松丘慎吾さんと鼻エンジンを結成。M-1に挑戦をする傍ら、先のコントライブでの手応えを忘れられなかった島根さんと渚さんは、新たなコントライブへの意欲を露わにする。

 その矢先に起こったのが、村田さんの死だった。

「たられば」は無いけど

 僕は「もしもこうなっていたら」といった「たられば」を語るのは好きではない。
 現実は現実で、違った未来を想像しても後悔することばかりでいいことなんてほとんどない、と思っている(これを現実主義と呼ぶのかは分からないが)。

 ただ、この事実を知ってから、「もし島根さんと渚さんがコンビを組んでいたら…」とふと頭をよぎる。

 渚さんはフォークダンス解散後、その能力の高さから多くの芸人にコンビ結成を持ちかけられたらしいが、それらを全て断っていたらしい。
 「新しい相方があの天才(=桶田氏)と比べられたらかわいそうだ」というのがその理由だった。
 そんな渚さんが自らコンビ結成を持ちかけたということは、渚さんから見て島根さんは「桶田氏に並ぶ天才」と映ったということなのだろう。
 僕もそれに異論は全く無い。先ほども書いた通り、フォークダンスde成子坂もツインカムも、僕の中では最高のコント師だ。

 著作権や肖像権といった多くの問題を抱えてはいるものの、今は動画サイトやSNSで過去の情報が手に入る、非常に便利な時代になった。
 昔のVHSを引っ張り出さなくとも、少しスマホやパソコンを操作するだけで思い出の画像や動画に出会えることが当たり前となり、すぐに懐かしいあの頃に戻ることが出来るようになった。

 もし彼らの名前を初めて聞いた、という方がいらっしゃいましたら
 在りし日の彼らの勇姿を是非観ていただきたい。

 フォークダンスDE成子坂のコントを見て心の底から爆笑することが、桶田さんと渚さんへの最高の供養になると今でも信じている。

 ツインカムとフォークダンスDE成子坂の二組に
 「たくさん笑わせてくださってありがとうございます」
 
そして「今でも大ファンです」と伝えたい。

※引用元
藤井ペイジちゃんねる
「元『ツインカム』島根さだよしさんに話を聴こう!パート②【村田渚さんとの約束】

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