ぼくがいなくても世界はある!

これもまた小学生の頃のことです。私はまた、『ドラえもん』を読んでいました。ふと、こんなことを思ったのです。

「どうして『ドラえもん』の中に、ぼくはいないんだろう」

どういうことか。『ドラえもん』の中には、ひとつの世界があります。前にも書きましたが、ドラえもんがいてのび太がいて、しずかがいてジャイアンもスネ夫もいる。そこには「世界」という他ないものがあります。ですが、その漫画の中の「世界」に、「ぼく」はいないのです。

『ドラえもん』の「世界」に、「ぼく」は参加できないのです。

どうしてなんだろう?

そう思うと不思議でなりませんでした。

『ドラえもん』の「世界」と、「ぼく」がいるこの「世界」とは違うんだろうか? だとしたらどうしてなんだろう?

これも、今の私なら単純に解けます。要は虚構と現実の違いです。ドラえもんは私たちのイマジネーションもしくは嘘の中にしか住んでいません。ドラえもんは未来から来たということになっていますが、それも嘘。私の目の前にいなくてこれからも現れっこない存在である。そんなドラえもんの「世界」と私の「世界」は次元が違うのです。二次元と三次元の違い、共同幻想(?)と現実の違い、等など……。

でも、子どもの頃の私はそんなことを知りません。『ドラえもん』の「世界」はドラえもんがいて、のび太がいる。でも、その「世界」に「ぼく」がいない。つまり、「世界」は「ぼく」がいない状態で成り立っている、と思った時に私は驚きました。

ぼくがいない「世界」!?

驚くべきことはなにもありません。例えば、私は1975年に生まれましたが1975年以前にも世界はありました。私が生まれる前の世界で私の父と母が出会い、そして結婚し子宝に恵まれた。その三人兄弟の末っ子として私は生まれた。私が生まれる前からも世界はあったのです。そして、私が死んでからも世界はあり続けるでしょう。「ぼくがいない『世界』」は充分あり得るのです。

ですが、なら「ぼくがいない『世界』」は誰が作ったのでしょう。「ぼくがいない『世界』」はどんな世界だったのでしょう。いや、私の父と母はもちろん昔のことを覚えています。でも、江戸時代のことだったら? 時代劇で江戸時代の町を舞台にした話が放映されたりしていますが、それが本当に江戸時代の姿そのままだったという保証は誰がするのでしょう。誰か当時の目撃者でもいたのでしょうか。

「ぼくがいない『世界』」……それはもう、タイムマシンがない以上誰も証拠(難しい言葉を使うと「エビデンス」)を示せるわけでもありません。ただ、そういう「世界」があってみんなそのことを疑わないで受け容れて生きているということ。それが不思議だったのです。見たこともないのに、行ったこともないのに江戸時代に人がいたということをみんな信じて生きている。それはどうしてなのでしょうか。

ここまででだいぶ長くなってしまいました。まとめましょう。

・ドラえもんたちの世界に「ぼく」は参加できない。

・ドラえもんたちの世界と「ぼく」の世界は違う(世界はふたつある?)

・つまり、「ぼく」がいなくても世界はある!

・「ぼく」だけではない。みんながいない世界というものもあった(みんなそれを知っている)!

というようなことが、酷く不思議だったのです。


「ぼく」がいなくても世界はある。これはつまり、「ぼく」がいないことが可能であるということです。しかし、これも良く分かりません。「ぼく」は「ぼく」という身体を通して、目を使って耳を働かせて、足を使って歩いて手を使って触って、世界に触れます。逆に言うとそうやって見て聞いて触って得たものをエッセンスに、「ぼく」は世界を知ります。

裏返すと、そういった「ぼく」の感覚抜きに世界を直に知るということはどういうことなのか、分かりません。例えば目の前にカメラを置いて、このカメラに世界がどう映っているか知るためにはそのカメラに撮影された映像を私が見て、知るしかありません。カメラに私の目がついているわけではないのですから。「私が見ない限り」カメラにどんな映像が映っているか、分からないのです。

・「ぼく」はここにしかいない。ここを離れて、「ぼく」の目の前に「ぼく」を置くことは出来ない。

・「ぼく」が「ぼく」を離れることが出来ないなら、どこまで行っても「ぼく」は「ぼく」の目でものを見て、肌で触って感じて、耳で聞いて知って、考えるしかない。

なるほど……。


書いていて思いました。小学生の頃の私が、ここまで考えていたか。

それは分かりません。少なくともここまで言葉には出来ていなかったでしょう。ただ、ドラえもんを見て「目の前に、漫画の中のドラえもんやのび太と同じ次元に『ぼく』がいるわけではない!」と感じた時の驚きはリアルなものとしてあります。後に私は(ドイツ語も出来ないのに)ウィトゲンシュタインと徒手空拳で取り組むようになりますが、彼が『ドラえもん』を読んだら、どう思っていたでしょうか。

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