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うつろいゆくつゆ草

あっという間のお天気モラトリアムが終わって、いよいよ本格的な梅雨になるらしい。

坂道に縞模様を描いて雨の流れる日。好きな靴が履けない日。月星たちとしばし別れの長雨。そんな湿った空気ではワインもまずくて。

とはいえ、しっぽり小糠雨が降る日や、逆に南国のような驟雨がまるで絹のカーテンのようにたなびく様子は嫌いではない。それもまた風物詩なのだ。

今にも雨雫が落ちてきそうな灰色の空の下、遠雷の音を心地よく耳にしながら鈍色(にびいろ)の町を歩けば、溝のふちや石垣の下にふと鮮やかな青色に咲く小さなツユ草を見つけてハッとすることがある。

かつては月草と呼ばれたツユ草の青は、れっきとした蒼だ。外来種ではなく古来やまとからすでにあったようで、中国から藍染の技術が入るまでは、露草染めとして使われていたらしい。惜しむらくは色褪せも早かったようだ。自然界の青色は安定しないのである。

それはうつろいゆく恋人の心にもたとえられた。

「月草に衣は摺らむ朝露にぬれての後はうつろひぬとも」
(つゆ草で衣を摺り染めしてみよう。朝露に濡れたら色褪せてしまうかも知れないけど。まるで其方の心のように)

「朝露に咲きすさびたる 鴨頭草(つきくさ)の日暮るるなへに 消ぬべく思ほゆ」
(朝露を受けて咲いているつゆ草のように貴方がお見えになるかと思っている間は元気でしたが夕方も遅くなってくると今日もまたお見えにはならないのかと心が萎む私でございます)

「誰にまたうつし心のひとさかり見えてかなしき月草の色」
(「あの人は誰にまた心を移すことか。一時だけの盛りが見えて切ないつゆ草の色よ」。深い仲にはなったが、相手は恋の噂の絶えない人。一途に期待はすまいと自制する気持を月草の儚い色に託して詠んでいる。)

うつろいゆくのはなにも人の心ばかりではない。
あらゆるもの、生き物も、うつろいゆく。かつては近しいと思われたうつろいゆくその先は、いまやガンジス、いや三途の川の向こうなのかも知れないのだから。

うつろいゆくツユ草の季節、その嘘っぽいまでの青をたたえた花をみて、あなたなら何を懐かしみますか・・・・

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