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父さんのこと

毎年、だいたい桜が咲いたころ、一度は思い出す。
20数年前の3/31。
父さんがなくなった日。

今年はなんだか気が向いたので、少しだけ思い巡らせてみたい。


高校2年生に上がる前の春休みだった。
余命半年くらいと言われたばかりの父の容態が突然変わった。
そろそろ個室に…とか言ってた矢先、6人くらいの相部屋だったが
看護師さんの巡回で判明したそうなので、そっと逝ってしまったんだと思う。
それがなんとも父さんらしい。

深夜に病院からかかってきた電話とか、お医者さんが心臓マッサージしてたこととか、まだ温かいのに起きてくれない父に友達とスペースワールドに行った話をしたこととか、深夜に駆けつけてくれた父の友達が「まだ早いちゃ興さん!!」と叫んでいたこととか、友達に数日後カラオケに行く予定をキャンセルする連絡を病院からいれたこととか、その時にどうしても父が死んだからという理由を口にできなかったこととか、割としっかり覚えている。
その頃の他のことは朧げなのに不思議なことだ。

お葬式が終わるまでの数日間、思い起こせばまあまあ冷静だったように思う。実感が伴わずにぼんやりとしていた気がする。
それでも、仮通夜で自宅の布団に横たわる父に、冥途の旅装束に着替えさせるということで、白い脚絆のようなものを巻き付けたときふいに心が決壊したことを覚えている。
家を出て、近くの公園で文字通り号泣した。
誰もいなかったのは幸いだった。
息ができなくなりそうなほどぐしゃぐしゃ泣いている私の頭上には満開の桜があった。

別に、桜が父を連れて行ったなんて詩的なことは思っていないが、たぶんこの時から桜と春が嫌いになったように思う。

随分長いこと桜が嫌いだったが、最近は「嫌いってほどではないし、お花見でわいわいするのは好き」くらいには改善した。これは朗読を通して出会った大切な仲間たちや、旦那さんの力によるところが大きい。


さて、

今年もまた桜が咲いちゃったよ

ウイルスで世界が一変して一年になる。
父さんが生きてたら、どんな話をしたのかな。
一緒にお酒を飲んでみたかったよ、旦那さんを会わせたかったよ、
朗読きいてほしかったよ、まだまだ私は面白いことになったのにもったいなかったね。

そうそう、海援隊の「母に捧げるラストバラード」って歌があって、やっぱり武田鉄矢さんはいいよね。

次の世もその次の世も あなたの子供に生まれたい
母ちゃんの子供に生まれたい

ってさ。

私も同意だね。
次もまた父さんと母さんの子に生まれたい。
次はもっと長く一緒にいたいもんだねえ。

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