『コンビニ人間』村田沙耶香(読書会用メモ)
これは、終わらない読書会(第7回)のためのメモです。
古倉さんの感情表現
ざっと拾ってみると、
「困る」「薄気味悪く思う」「驚く」「うんざりする」「不愉快」「呆然」「不気味」がほとんどで、比較的「驚く」ことと「不気味」に思うことが多い。
しかし、その感情は喜怒哀楽や嫌悪につながらず、古倉さんの「正常」と合致しないことに対する違和感の表明にすぎない。
コンビニをやめた後、「コンビニの声」を聴くまでは、ほぼ「睡眠」と「空腹」しか感じておらず、性欲含め、あらゆる欲望も感情も持っていない。
「変わらない」こと、「正常」「異物」「世界の部品」
「コンビニ」は、卵も箸もビニールも品揃えも変わっているがそれは同じ「道具=モノ」として変わっている。店長もバイトリーダーも新人バイトも変わっているが、やはり客から見たコンビニにとっては「道具=モノ」として変わっている。
目的(コンビニ)が変わらなければ、その部品=モノがどれだけ入れ替わっても「変わらない」。
古倉さん目線は、この客目線と同じ。
コンビニを形成しているモノは全てコンビニ以外の理由を持たないモノで、モノの私生活のようなものは想像しなくてもよい。古倉さんにとって、できないこと(想像)をする必要がない世界がコンビニであり、同様に古倉さん自身の私生活を作る必要がない世界がコンビニである。
古倉さんの身体(「水」や「細胞」)も入れ替わるが、それはコンビニに最適化され「整え」られており、決して「変わらない」。
これが古倉さんにとっての「正常」。
「普通」と「治る」こと
古倉さんにとっての「普通」は「正常」とは違って、「周囲が決めること」なので、コンビニとしてAIアライメントされ最適化されたAI古倉さんは、非常に優秀で普通に正常。
「二週間」が身体の水が入れ替わる=ヒトが変わる期間として示されている。
コンビニ人間としての古倉さんは二週間の研修で生まれ、18年後、二週間で「何で結婚しないの?」「何でアルバイトなの?」と問われて変わろうと思い、二週間でコンビニを辞めた後、二週間で「コンビニの声」を聴く。
自分が「世界の部品」ではないことに対して苦痛すら感じていないので、「世界」の方から「普通=治る」ことを要求されないのであれば、なんら自分の存在に悩むことはないはず。
「モノ化」
ヒトがモノ化されている、と言うが、そこに苦痛を(疎外を)感じないのであれば、普通のヒトにしようとすることは暴力ではないのか?
AIが書く物語は「人間が書くような物語」である必要はない。AIにとっての世界をAIの感じ方でAIのために書けばよい。
同様に、コンビニ人間である古倉さんが書く物語は「コンビニが書くような物語」であればよい。コンビニにとっての世界をコンビニの感じ方でコンビニのために書けばよい。
ハッピーバースデー・古倉コンビニ恵子!
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