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共同幻想が見たい

こんにちは、三月です。今年も3月がやってきましたね。そうです、わたしの月です。1か月わたしを崇め奉りながら生活するようにしてください。なおリアル私の誕生日も今月です。お祝いしてね。

◆共同幻想が見たい

さてはて、図工室からの脱出の再演(リメイク再演?)が行われましたね。びっくりしました。2009年初演に参加した私は「図工室を再演しろ」と10年言い続けていましたが、いざ再演されるとビビるものです。
今回は「初演参加者もプレイ可」ということで、嬉々として参加してきました。

何度か貼っておりますが、当時のネタバレブログがこちらにございます。
※参加予定で初演未参加の人は絶対に見ないでください
※気付いたんですがブログタイトルでさえネタバレだと気づいたので、古きゆかしい「h抜き」でURLを貼っておきます
(爆)(暗黒微笑)(リンク設定したのでURL踏めば飛びます)
ttps://ameblo.jp/march36rabbit/entry-10280716102.html

ネタバレにならない程度に初演との違いに言及すると
初演では1チーム22名
今回の再演は1チーム最大10名

での参加になります。人数が半分以下になってしまいました。

この辺りの理由は、考えればわかると思うので各自考えていただくことにして、私が言いたいことは「同じ夢を同時に見る人が減ってしまった」ということです。

◆共同言動または同床同夢

私たちは、世界を共有することが出来ません。

大人になってしみじみ思います。「あの時同じ花を見て美しいといった二人の、心と心が今はもう通わない」(あの素晴らしい愛をもう一度)は、愛や恋の話に限るわけではなく、日常にだって言うことが出来ます。

私たちは、おなじ1冊の本を見たときにも別のことを考えます。

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A「面白かった、名作だよね」
B「めちゃくちゃ売れた本だ」
C「悪の教典の貴志祐介の本か」
D「つまんなさそうな表紙」

人間の考えは自由です。当然です。本を読むとき、映画を見るとき、(たとえ読み聞かせを聞いていたり映画を誰かと見ていても)感じるのは自分1人です。目の前の情景、頭の中に浮かぶ画を見ているのは私(あなた)1人だけです。

作品のテキストについて考える人がいて、作品の背景について考える人がいて、経済的な市場のことを考える人がいて、全然違うことを考える人がいる。

同じ作品について好きであったとしても、同じ感じに語る人は実はそこまで多くありません。生きてきた背景が違うから。

そのなかで、いわゆる没入型と言われるエンターテインメントは簡単に私たちに同時に同じ夢を見せてくれる、ということは出来ないでしょうか?

◆本当のパニックを起こせるのか?

有名な都市伝説の一つに「H・Gウェルズの宇宙戦争のラジオドラマ」があります。あまりの快演っぷりに、本当に火星との戦争が起きたと信じる人が続出し、パニックが生まれたというものです。
現在となっては都市伝説として否定されているものですが、ARGと呼ばれることもある「没入型」のエンターテインメントの最終的な行きつく先はここにある、と思うエピソードに他なりません。

没入型エンターテイメントでは、その名の通りその物語もしくは世界に没入させる遊びです。謎解きイベントの一部、ARGの一部、なんならTRPGの一部だったり色んなものが没入型と呼んで差し支えないでしょう。

その世界で遊び、ある程度以上に熱中するとき。そう「夢中になる」と表現できる精神状態との時、私たちは現実から離れ、その世界の中にだけ人格を存在させます。
それは1人だけではなく、同時に参加者みんなが夢中になることさえあります。

真剣に冒険をするとき、キャラクターについて真剣に耳を傾ける時、物語の中のキャラクターの生死を議論しているとき。

同じ幻想を共有したい。
世界が滅ぶ幻想、異世界へ転生する幻想、冒険の幻想、生の幻想、死の幻想。それはまさに世界。

没入型ゲームを「個人」に仕掛けることは実はそこまで難しくはありません。しかし、そこに強烈で焦がれるほどの熱情が生まれるかと言えば、(もちろん生まれないとは言わないけれど)そこまででもないのです。
私だけが夢を見るのは簡単です。
現実を捨て、ちょっとだけ狂ってしまえばいいだけです。

ふつうでは起きえない、共同幻想。幻想の共有こそが、没入型のエンターテインメントの醍醐味なのではないでしょうか?

幻想を共有する人数が1人なら狂人、2人なら恋人、そして3人以上ならエンターテイメントと呼ばれるのです。

◆まとめ

集中できなくなるようなオタクのイキりがキツいイベントはしんどい

三月ちゃんをいろんなイベントに出張させることが出来ます。ヤバそうなイベントに自分で行く気はないけど誰かに行ってきてほしいときに使ってください。