厳しい感想は作者に向けではないのですが?の巻き
こんにちは、三月です。noteに書くこともなくぼんやりしていました。
今日はこれの話です。
「感想」と「批評」はぜんぜんちがう
なにかを見たとき、読んだとき、摂取したとき、感じることがあると思います。まあ大まかに分けると「よい~」「よくない~」「よくもわるくもない~」だと思うんですが、これは感想です。
感想は純然たる個人の感想です。
批評っていうのは、詳しく私も知らないんであれですけど、もっと体系立てて客観性を以って歴史の流れや時代性を加味したり、とにかく頭を使ってよしわろしを論じることです。
思うんですが、批評って言葉が悪いですよね。批判と混同されたり(そもそも批判って言葉も似た文脈で使われたり)、イメージが悪いです。他人のふんどしに胡坐をかいているような。
ターゲティングされていない「感想」
言葉や表現として何かを発信するとき、相手がいます。
LINEなら送る「あなた」、鍵垢のTwitterなら「フォロワー」、オープン垢のTwitterは考え方次第、noteやブログだともっと全世界!って感じがしますね。イメージです。
とはいえ、あんまこういう小難しいことを日々考えてものを言ってる人はあんまりいない気がします。ちょっとはいるかもしれないけど。
つまり、感想をどのメディアでどうやって発信するかによって、伝わる相手、範囲が全然違うよって話
クリエイターは(ほぼ)全員メンヘラである
少数の鬼つよメンタルの人は好きなカレーの具のことを考えていてください。
クリエイターの多くは繊細さんです。産み出した作品が世の中で絶賛されていても、1人が「クソやんけ」って言っているのを見たら筆を折りかねない生き物です。優しく扱いましょう。
そのため、クリエイターと受け手が近しい世界では、繊細なクリエイター(および熱心な狂信者)を傷つけ(怒らせ)ないような無難な発言をします。
かくいう私もかなりのめんどくさ繊細ウーマンで、自分の作ったものに対し、あんまり好きじゃない他者が頓珍漢な解釈をしていると「うっ、きもちわるくなってきた」と思うことがあります。
作者としてはいい評価だけ見て生きていきたい
です。でも頓珍漢な解釈をされるのも苦手なので、良かった時に増える数字だけだと一番心が穏やかです。
あと一番うれしい感想は「これをみて、ぼくはこうおもいました」です。
ただ、私に伝わらないところで勝手に解釈して楽しそうにしているのを好きです。
ね?めんどくさ繊細ウーマンでしょ。
受け手としてはシビアな評価も見て生きていきたい
とはいえ、買う本屋見る映画を決めるときはシビアな感想も見たいものです。「ノットフォーミー」も大事な感想です。
「純愛厨なぼくにとって不倫ものは地雷でした」
みたいなワガママな感想も、「あ、なるほどね、不倫ものか。元気な時みよ~!」っていう購入判断にしています。amazonとか読書メーターとかフィルマークスとかのレビュー、助かってるぜ。
シビアな感想を書くとき、私は「受け手」「同士」に向けて書いてる
自分も「え~~~、いまいち」って思うことがあります。「クソさいあく」って思うこともあります。
「クソさいあく」はあんまりそのまま書きませんが、ちょっと砂糖をまぶして「私には合いませんでした~」って感想を書くことがあります。
こういうとき、決して作者に文句を言ってはいません。
あくまでも、これから作品を読もうと思っている新人さんに「ひとをえらぶよ!」、もしくは読み終わってなんだかモヤモヤした気分を抱えた同士に向けて「やっぱクソだよね!」といってるだけで、クリエイターに対して文句は全然ないです。
もちろん、作者に怒りを覚えることもあります。でもまあ、私がむかついたことをわざわざ作者に言うこともないしなあ(今まで経験ないけど、肖像権侵害されたとかパクられたとかはきっと言うけど)。
つまり、シビアな感想はわざわざ見なくていい
だってクリエイターに対していってないもん。
勝手に感想を見て悲しんでいるメンヘラは、「激辛限定!5辛カレー」って書いてるのに勝手に食べて「は??辛いんですけどもう食べません」って文句を言っている人です。
とはいえ、クリエイターと受け手が近しい世界では「クリエイター=フォロワー」みたいなのもめずらしくありません。
これは例えとしては、お通しでパクチーサラダを出されて何気なく食べたらパクチーで吐いた、という現象に似ているでしょう。
だからこの辺がうまくすみ分けられると、いいなぁとおもいました。
三月ちゃんをいろんなイベントに出張させることが出来ます。ヤバそうなイベントに自分で行く気はないけど誰かに行ってきてほしいときに使ってください。