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聖書を読むnote#8

マルコによる福音書12:28-34


律法学者の一人が来て、彼らが議論するのを聞いていたが、イエスが見事に答えられたのを見て、イエスに尋ねた。「すべての中で、どれが第一の戒めですか。」
イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」
律法学者はイエスに言った。「先生、そのとおりです。主は唯一であって、そのほかに主はいない、とあなたが言われたことは、まさにそのとおりです。
そして、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛すること、また、隣人を自分自身のように愛することは、どんな全焼のささげ物やいけにえよりもはるかにすぐれています。」
イエスは、彼が賢く答えたのを見て言われた。「あなたは神の国から遠くない。」それから後は、だれもイエスにあえて尋ねる者はいなかった。


「そういうことだったのか!」

要約(Claude3)

この聖書の一節は、新約聖書の「マルコによる福音書」第12章28-34節から引用されています。イエス・キリストと律法学者との対話を記しています。

要点は以下の通りです:

  1. 律法学者がイエスに、最も重要な戒めは何かを尋ねる。

  2. イエスは、第一の戒めは神への愛、第二の戒めは隣人愛であると答える。これらが最も重要な戒めであると強調する。

  3. 律法学者はイエスの答えに同意し、神への愛と隣人愛が、いけにえよりも優れていると述べる。

  4. イエスは、律法学者の賢明な応答を認め、彼が神の国に近いと告げる。

この一節は、キリスト教の中心的な教えの一つである愛の重要性を示しています。神への愛と隣人愛は、宗教的儀式よりも優先されるべきだというメッセージが込められています。また、律法学者とイエスの対話は、信仰について深く理解することの大切さも示唆しています。

引用箇所

申命記6章4-5節: 「イスラエルよ。聞け。われわれの神、主は唯一の主である。 あなたは心を尽くし、たましいを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなければならない。」

レビ記19章18節: 「あなたは、あなたの民の者に報復してはならない。恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。」

Claude3 とのやりとり

me:「先生そのとおりです」と言った律法学者は、イエス様が十字架にかかった後、没薬を持ってきた人?

Claude3:いいえ、この律法学者とイエスの埋葬に没薬を持ってきた人物とは別人です。

没薬を持ってきた人物は、アリマタヤのヨセフとニコデモです。ヨハネによる福音書19章39-40節に記されています。

「ニコデモも以前夜イエスのもとを訪ねて来たことがあったが、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを百リトラほど持って来た。 彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料を付けて亜麻布で巻いた。」

一方、マルコによる福音書でイエスと対話した律法学者は、イエスが十字架にかかる前の出来事として記録されています。この律法学者がイエスの埋葬に関わったという記述は聖書にはありません。したがって、この律法学者とアリマタヤのヨセフやニコデモとは別人だと考えられます。

me:(人違いしてしまった💦)アリマタヤのヨセフとニコデモは聖書の箇所のどこで出てきていたっけ。

Claude3:アリマタヤのヨセフとニコデモがイエスの埋葬のために没薬を持ってきたことは、ヨハネによる福音書19章38-42節に記されています。

「その後、アリマタヤのヨセフが、イエスのからだの引き取りを願った。彼はイエスの弟子であったが、ユダヤ人を恐れて、それを隠していた。ピラトは許可したので、彼は行ってイエスのからだを取り降ろした。 ニコデモも以前夜イエスのもとを訪ねて来たことがあったが、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを百リトラほど持って来た。 彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料を付けて亜麻布で巻いた。 イエスが十字架につけられた場所の近くに園があって、その園の中に、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。 それで、ユダヤ人の準備の日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに横たえた。」

この箇所から、アリマタヤのヨセフとニコデモがイエスの埋葬に関わり、没薬と沈香を持ってきたことがわかります。

me:夜にイエスの元に訪ねてきたのが、ニコデモで、ここで答えたのは律法学者。訪ねてきたニコデモは立場的にどんな人だったんだろう。

Claude3:ニコデモについては、ヨハネによる福音書で詳しく描写されています。

ヨハネによる福音書3章1節では、ニコデモについて次のように紹介されています。 「さて、パリサイ人の中に、ニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。」

この記述から、ニコデモはパリサイ派に属し、ユダヤ人社会の指導的立場にあったことがわかります。パリサイ派は当時のユダヤ教の中で最も influential な宗派の一つであり、律法の厳格な解釈と実践を重視していました。

また、ヨハネによる福音書7章50-51節では、ニコデモが最高法院の議員として登場し、イエスを弁護する発言をしています。 「ニコデモ(以前夜イエスのもとを訪ねて来た者で、彼らの仲間の一人であった)が彼らに言った。『まず本人から話を聞き、その人が何をしているのかを知るまでは、私たちの律法では、だれをも裁くことを許していません。』」

これらの記述から、ニコデモはユダヤ人社会の中で高い地位にあり、最高法院の議員を務めるほどの influential な人物であったことがうかがえます。その一方で、彼はイエスの教えに関心を持ち、密かにイエスのもとを訪ねています。これは、当時のユダヤ人指導者の多くがイエスに批判的であったことを考えると、注目すべき行動だと言えるでしょう。

ニコデモは、イエスの教えに惹かれながらも、その立場ゆえに公然とイエスの弟子になることができなかったのかもしれません。しかし、イエスの埋葬の際に没薬と沈香を持ってきたことから、彼なりの信仰の表現があったと考えられます。

"Influential"は、英語の形容詞で、日本語では「影響力のある」「影響力を持つ」といった意味を持ちます。ニコデモの場合、パリサイ派に属し、ユダヤ人の指導者の一人であったと述べられています。これは、彼がユダヤ人社会の中で影響力のある人物であったことを示唆しています。

me:そうか、パリサイ派の人だから、律法学者とは違うのか。

Claude3:はい、その通りです。ニコデモと律法学者は、聖書の中で別の人物として描かれています。

ニコデモはパリサイ派に属し、ユダヤ人の指導者の一人でした。パリサイ派は、律法の厳格な解釈と実践を重視する宗派です。一方、律法学者は、律法に関する専門家であり、律法の解釈や教育を担当していました。

律法学者は必ずしもパリサイ派に限定されるわけではなく、パリサイ派以外の宗派にも律法学者はいました。また、すべてのパリサイ派の人が律法学者であるわけではありません。

マルコによる福音書で登場し、イエスと対話した律法学者は、パリサイ派であるかどうかは明示されていません。一方、ニコデモはパリサイ派であり、ユダヤ人の指導者であったと明確に述べられています。

このように、ニコデモと律法学者は、その役割や所属する宗派が異なる別の人物として聖書に登場しているのです。

感じたことなど

  • こんな日もある。

  • イエス様の語る言葉は「影響力を持つ人」にさえ影響を与えた。真理を語っていたからね。

  • 律法学者は嬉しかっただろうな。

まとめ

誰もイエス様を否定することができない。
それは真理そのものだから。
そして愛に満ちていて、今、足りないもの、自分が欲しているものを教えてくれて、与えてくれる。
主よ、感謝します。
イエス様のお名前によって。
アーメン。

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