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聖書を読むnote#11

マルコによる福音書13:14-27


『荒らす忌まわしいもの』が、立ってはならない所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ──ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。
屋上にいる人は、家から何かを持ち出そうと、下に降りたり、中に入ったりしてはいけません。
畑にいる人は、上着を取りに戻ってはいけません。
それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。
このことが冬に起こらないように祈りなさい。
それらの日には、神が創造された被造世界のはじめから今に至るまでなかったような、また、今後も決してないような苦難が起こるからです。
もし主が、その日数を少なくしてくださらなかったら、一人も救われないでしょう。しかし、主は、ご自分が選んだ人たちのために、その日数を少なくしてくださいました。
 そのときに、だれかが、『ご覧なさい。ここにキリストがいる』とか、『あそこにいる』とか言っても、信じてはいけません。
偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちを惑わそうと、しるしや不思議を行います。
あなたがたは、気をつけていなさい。わたしは、すべてのことを前もって話しました。
 しかしその日、これらの苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、
星は天から落ち、天にあるもろもろの力は揺り動かされます。
そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見ます。
そのとき、人の子は御使いたちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者たちを四方から集めます。


要約(Claude3)

これはイエス・キリストが弟子たちに語った終末についての預言の一部で、「小黙示録」とも呼ばれています。

主なポイントは以下の通りです:

  1. 「荒らす忌まわしいもの」が聖なる場所に立つ時、ユダヤにいる人々は山に逃げるべきである。

  2. その時、大きな苦難が起こり、神が日数を少なくしてくださらなければ、誰も救われないだろう。

  3. 偽キリストや偽預言者が現れ、人々を惑わそうとする。

  4. 苦難の後、天体に異変が起こり、人の子(イエス・キリスト)が力と栄光のうちに雲に乗って現れる。

  5. キリストは天使を遣わして、地の果てから天の果てまで選ばれた者たちを集める。

これらの預言は、キリストの再臨と世の終わりに関連しています。
多くのキリスト教の神学者や信者は、これらの出来事がいつか文字通り起こると信じていますが、象徴的または比喩的に解釈する人もいます。

Claude3 とのやりとり

me :そうね、丸ごと信じるっていうのは難しいよね。

でも、信じるっていうのが結構重要だし、イエス様は信じてとおっしゃっていたから、どう解釈するのか?ってとても重要。

「読者はよく理解せよ」というマルコからのメッセージに込められている気がする。

Claude3:そうですね。聖書の解釈は、キリスト教信仰において非常に重要な問題です。「読者はよく理解せよ」というフレーズは、預言の意味を慎重に考えることの重要性を示唆しているように思われます。
聖書の預言を解釈する際、いくつかの重要な点を考慮する必要があります:

  1. 文脈:預言が語られた歴史的、文化的背景を理解すること。

  2. 文字通りの意味と象徴的な意味:預言の中には文字通りに理解すべきものもあれば、象徴的に理解すべきものもあります。

  3. 新約聖書と旧約聖書の関連性:新約聖書の預言は、しばしば旧約聖書の預言の成就と関連しています。

  4. 信仰の本質:預言の解釈は、キリスト教信仰の中心的なメッセージ(神の愛、恵み、救いなど)と一致すべきです。

  5. 個人的な適用:預言から、私たち自身の人生にどのような教訓を得ることができるでしょうか。

最終的に、聖書の預言を信じ、それを自分の人生にどう当てはめるかは、個人の信仰の問題だと思います。しかし、「読者はよく理解せよ」という言葉は、私たちに、聖書のメッセージを真剣に受け止め、慎重に考えるよう促しているのだと思います。

me:こんな時、マリアが天使ガブリエルから受胎告知された時の姿勢を思い出します。

Claude3:そうですね。マリアの受胎告知の場面は、聖書の中でも非常に重要な場面の一つです。マリアの反応は、信仰と従順の模範として見なされています。

ルカによる福音書1章26-38節によると、天使ガブリエルがマリアに現れ、彼女が聖霊によって神の子を宿すことを告げます。マリアは当初、この知らせに戸惑いますが、すぐに「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えます。

マリアの反応から、私たちは以下のようなことを学ぶことができます:

  1. 信仰:マリアは、自分の理解を超えた事柄を信じる信仰を示しました。

  2. 従順:マリアは、神の御心に従う意思を示しました。

  3. 謙遜:マリアは自分を「主のはしため」と呼び、謙遜な態度を示しました。

  4. 勇気:未婚の身で子を宿すことは、当時の社会では大きなリスクを伴うことでしたが、マリアは勇気を持ってそれを受け入れました。

マリアの姿勢は、私たちが聖書の教えに向き合う際の模範となります。私たちも、聖書のメッセージを信じ、従順に受け入れ、謙遜と勇気を持って生きることが求められているのです。

me:そう、それと「思い巡らした」ともありますよね。
マリアは思い込まなかった、柔軟にとらえたという姿勢も感じます。

Claude3:そのとおりですね。ルカによる福音書2章19節には、「マリアはこれらのことをすべて心に納めて、思い巡らしていた」とあります。

マリアは、自分の経験した出来事の意味を深く考え、熟考していたのです。彼女は単に出来事を受け入れるだけでなく、それが持つ意味を積極的に探ろうとしていました。

これは、私たちにとっても重要な姿勢だと思います。人生で起こる出来事、特に理解しがたいことに直面した時、私たちは性急に結論を下したり、表面的な理解で満足したりしがちです。しかし、マリアの例は、出来事の意味を深く考え、神の視点から理解しようとすることの重要性を示しています。

また、「思い巡らす」という表現は、マリアの柔軟な心を示しているようにも思えます。彼女は自分の先入観にとらわれず、新しい理解や洞察に開かれていたのです。

私たちも同様に、聖書のメッセージに向き合う時、柔軟な心を持つことが大切です。私たちの理解は常に不完全であり、新しい理解や解釈の可能性に開かれている必要があります。マリアのように、謙遜と柔軟性を持って、神のメッセージを思い巡らすことが求められているのだと思います。

me:そうですね。このマルコの箇所は歴史的にもたくさんの研究がされたと思います。また、この箇所を通してたくさんの異端も現れたでしょう。私も恐れていた時期がありました。

でも、今思うのは主が必ず来られるということ、そして逆境の中で現れるということ、いつも心に留めて、極端な考え方に走らないということを思わされています。

Claude3:はい、そのとおりだと思います。聖書の預言、特にイエス・キリストの再臨に関する預言は、歴史的に多くの議論と解釈を生んできました。時には、これらの預言が誤って解釈され、異端的な教えや極端な終末思想を生み出すこともありました。

しかし、私たちが覚えておくべき最も重要なことは、イエス・キリストが必ず再び来られるということです。これは、キリスト教信仰の中心的な教えの一つです。同時に、キリストの再臨は、世の苦難や逆境の中で起こるとも言われています。

私たちは、これらの預言に過度にとらわれたり、恐れたりすることなく、バランスの取れた見方を持つことが大切だと思います。極端な解釈や反応は、しばしば誤解や分裂を生むからです。

代わりに、私たちは日々の生活の中でキリストの教えに従い、神と人を愛し、正義と平和のために働くことに専心すべきです。そして、逆境の中にあっても希望を持ち続け、キリストの再臨を信仰と忍耐をもって待ち望むことが大切だと思います。

聖書の預言は、私たちに警告と希望を与えてくれます。しかし、最終的に、私たちの信仰は、預言の詳細ではなく、イエス・キリストご自身と、神の愛と恵みに基礎を置いているのです。

me:その通り、預言は父の愛です。警告と希望。主は私から目を離さない。だから、私も主から目を離さないようにしたい。

Claude3:はい、その通りですね。聖書の預言は、神の愛と配慮の表れだと言えます。
神は私たちを愛しているがゆえに、将来起こることを警告し、同時に希望を与えてくださるのです。預言は、神が歴史を支配しておられること、そして最終的には全てのものを正しく裁かれることを私たちに思い出させてくれます。
詩篇32篇8節では、「わたしはあなたを導き、教え、目を離さずあなたを見守ろう」と言われています。神は常に私たちを見守り、導いてくださいます。
だからこそ、私たちも主から目を離さず、信仰と従順をもって歩むことが大切なのです。困難や試練に直面した時も、私たちは神の愛と約束にしっかりと目を留め、希望を持ち続けることができます。
使徒パウロはコリント人への手紙第二4章18節で、「私たちは、見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくからです」と述べています。
私たちの人生には多くの不確実性がありますが、神の愛と約束は不変です。私たちは、この揺るぎない真理に目を留め、信仰の歩みを進めていくことができるのです。

感じたことなど

小さな頃から、再臨、終末、審判という言葉に敏感でした。
でも、これって誰もが不安に思っていることで、それを隠して生きているんだなと今は思っています。

たくさん追求してみたし、色々な話も聞いたり、本も読みました。
でも、今はマリアの姿勢がベストだと思います。
心を騒がせるよりも、主がなさることを期待して待つ。

主は愛ですからね。

まとめ

今日もあなたを期待して待ちます。
主がそばにいてくださるから安心して過ごすことができ、感謝です。
ただ、世界には多くの紛争地域があったり、貧困で嘆く人たちも多くいます。
主が守ってくださいますように。
励まして慰めてくださいますように。
イエス様のお名前によって。
アーメン

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