ホラー以外のすべての映画(1)

「画面に映っているものだけを見よ」と発言したことで知られるはずのその映画批評家は、また同時に「映画を見ることはできない」とも発言したことをあまり知られていない。かもしれない。あるいは、これが単なる筆者の勘違いである可能性さえ考慮したとしても、「映画を見ることはできない」というその発言を記憶している者たちは必ず、同時に成り立つことのない「画面に映っているものだけを見よ」という批評家の指令をすっかり忘却していなければならない。こうして映画批評は、とうの昔に見ることのできる映画について語るものと、見ることのできない映画について語るものの二つに分かたれたと今、明らかになり、いよいよ大方の予想通り見ることのできない映画の話を始めることになるのだが、だからといって必ずしもそれはまだ公開されていない新作映画の宣伝をするのでも、そのタイトルばかりが人口に膾炙した「今更見ていないとは言えない」とのかっこが付いた“名作”ばかりを列挙するのでも、決して製作されなかった幻の映画企画について妄想を逞しくするのでも、はたまたアーカイブされることが叶わず歴史の闇に埋もれた失われた映画について思いを馳せることにも辿り着くことはない。
批評家によれば、映画を見るというのはいつもただそこに投影されているフィルムに焼き付いた影を見ることに他ならず、いつもそこに、俳優の顔であるとか、戦火に焼かれる都市であるとか、目の前を走り去る凶暴な乗り物の幻をまるで目撃したかのような錯覚に幽閉され続けることを決して免れえず、たとえそれが電気信号に変えられたデータの束となろうとも錯覚に纏わる鑑賞者の体験の都合について大した差異は生まれることもなく、いつまでもただそこになにかが映っているかのようにあくまで見えるという事態から逃れる術はないのだ。こうして集団的な主観による錯覚であり続けることを決して免れ得ない映画という体験は、いまだかつてあらゆる人間の肉眼によって見られることが一度もなかったというのがおそらくその批評家の発言の趣旨なのだ、と見立てはあながち的外れとも言い難いはずである。

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