マラカンダ商会
やり方がわからない。始めても続かない。やっているけど空回りしている気がする。そんな方に読んでいただきたいです。 必要な能力をつけるためにどうしたらいいか。 工夫、方法、考え方をまとめました。 勉強法の有料記事をまとめて少しお得に読んでもらうためにマガジンです。
地中に人間が一人いたとする。 動けないので、生活圏を広げる。 手の届く範囲なので均等広がっていく。 もう少し広げると身体感覚が及ばなくなって、いびつになる。 空間が広がって二人になるともっといびつに。 3人になるとさらにいびつになる。 広くなると空間の維持にも労力がかかるようになって広げるのが難しくなってくる。 また人が増えると、広げてきた空間の維持をせず、独自の動きをする人が出てくる。 すると 世界がもっと広かったことがわかる。 そして いけるとわかった
結論から書くと増えないだろう。 学歴やキャリアを求めていると 「できるだけいいところ」 いわゆる難易度、偏差値、倍率、社会的評価、地位、給与。 物事に対する主観ではなく、「社会的な判断基準」で選択することになってしまう。できるだけ速く、遠くを目指して、時間が来たら自分にあったものを選んでいく。 これでは視野が広がっていかない。自分の興味や関心という特徴に目が向かず、自分なりの価値観と選択を結びつけることを試みず、社会的な判断基準で自分を測って適当なところに据えてしまう。 確
「普通」と「特別」の違いは認知、評価の量が多いかどうか。 たかがそれくらい。 そのものの価値とは全く関係ないんだ。 「特別」であることは物事を進めやすく、生きやすい。 仕事に必ず営業があるのはそのためで、いかに「特別」であるかを、いかに多くの人に伝えられたかを優劣としている。 物事ではなく、営業の成果を仕事の優劣としているんだ。 もちろん、物事が優れていれば営業はしやすい。 しかし、炎上商法やらインフルエンサーによるマーケティングなどでもわかるように物事の本質に依らず成
効率とは別の記事で勉強の基本的な考え方 勉強法 〜はじめに〜 勉強法 〜やる気〜 を書きましたが、ここでは具体的にどのように進めていくのが良いかを書きます。 「なるべく既にできることはやらずに、できないことを、なるべく高い強度で、できる限り回数をこなす。」これが効率のいい勉強法と考えます。 「効率が良い」というのは、 この「できることをやらずに、できないこと」ができている状態のことです。 例えば、高校生が数学の勉強をしようと思った時に、既にできる一桁の足し算の問題を全く悩
「できる」とはなにかできるとは 「課題に対して必要な時にいつでも、何度でも適切に対応できる」 こんなことではないでしょうか。 つまり 「再現性のある能力を身につける」 ということだろうと思います。 そのために 「やる気を出して、効率の良い方法を繰り返し、継続すること」 が必要だということは誰もが知っています。 しかし、どうしてこれが必要なのでしょう。 課題と自分課題には難易度のようなものがあります。 誰もが一度でできるものから、10年かけても難しいもの。 また、同じ
はじめに まず、「やる気」は出そうと思っても出るものではありません。 「緊張しないように」と思っても、勝手に緊張してしまうように、自分で簡単にコントロールできるものではありません。 もし出せたとしても、それを毎日、数ヶ月、数年間出し続けるのは非常に難しいです。だから、やる気が出る状況を作ります。もしくは、やる気が出なくてもやりさえすればいいので、そういう状況をつくります。 やらない場所を決めましょう 「やる時間」と「やらない時間」 これを意識でコントロールしようとしがち
貨幣によって価値を保存できるようになったと言われる。 物々交換の時代、保存できるものは生鮮品よりも価値が高かっただろう。 生鮮品は交換の対象にはなりにくく、少量ずつでも自家生産するものだったであろう。そんな状況で生鮮品を保存する加工技術は上がったのかもしれない。 貨幣は、生鮮品を量産して価値を保存することができるようにした。これによって、ほぼ全ての業種が専業化できるようになり、分業化、量産化、品質の向上が劇的に進んだだろう。大規模貿易、産業革命、歴史的な発明品等々、世界全
「感情は、個々の行動の違いを大きくする仕組みの一部を担っているのではないか。」という仮定の話 まずはじめに、なんの根拠もなく実感で書いていることをお伝えしておく。 感情は下図のような働きの中で作用しているのではないだろうか。 1、なにかしらの感情がでた(感情) 2、感情の一部を拾い上げる(動機) 3、拾い上げた感情に反応する(行動) 4、状況での行動を知覚する(把握) そして、1に戻る 。 たとえ同じ状況だったとしても1で出てくる感情は少しずつ変化する。 それが、2、3
「今、誰がなにを持っていて、いつ誰がなにを産み出すかわからない。」 世界はいつなにを要求してくるかわからない。 そんな状況で、人間は可能性のはずなんだ。 DNAかもしれないし、免疫かもしれないし、菌かもしれないし、アイデアかもしれないし、単純な数かもしれない。 その可能性を自力で寿命まで保持しようとしてくれる。 そして、それがいつか形となって、共有されて全体の利益になる。 それを誰がなくして良いといえるのか。 エジソンだから、アインシュタインだから、ジョブズだか
「ものづくり」「まちづくり」 「子育て」「保育」 物事に対しては「作る」 生物に対しては「育てる」 そんな印象を持っていたし、実際にそういう使い分けをしていた。 目に見えて動くことはないが、生きている植物はどちらにもなりうる対象であるから、これを例に使い分けを考えてみる。 「育苗」と「苗づくり」 同じことでも植物、生き物にフォーカスすると「育」。 食物、商品という価値にフォーカスすると「作」。 これに当てはまらない言葉がある。 「稲作」 米作りはわかる。日本人の主食
最近、田舎でバスに乗った。市街地から過疎地への路線。 週末の20時頃。JRの駅で電車から降りてから20分ほど待った。最終便だった。電車もバスも1時間に一本。それなら時間を合わせたらいいのに。 乗客は私だけだった。都会では乗車時に払うことが多いが、田舎では降りるときに払うことが多い。距離で料金が違うからだろうか。 バスは時間通りに運行していく。途中、時間調整のために私鉄の駅で少しの間止まっている時間があった。このときに運転手と話した。公営で、ダイヤは市役所が決めているそうだ。私