ねぇ、ゲバラ
チェ・ゲバラの「チェ(Che)」は、名前の一部だと思っていた。「ちょ、待てよ」の「ちょ」とおなじ意味だと知ったときの衝撃よ。単体では特に意味を為さないというか、相手に呼びかけるときの「ねぇ」に近い。
フィデル・カストロとキューバ革命を先導した際、話している最中に"Che"を連発するゲバラを面白がったキューバ民が”チェ・ゲバラ”と呼ぶようになった。要は呼びかけなくても会話の合間に連呼していたのであろう。スペイン語圏のなかでも、”Che”を使用するのはアルゼンチンだけと聞いた。老若男女関係なく「聞いてよ」「あのさ」と枕詞のように使っている。
アルゼンチンのロサリオ(美しい名前だ)で産まれ、ボリビアで命を落としたゲバラ。アルゼンチンでは父と母の苗字を受け継ぐ。なのでErnest Rafael Guevara De La Sernaと、とんでもなく長い名前になる。Guevara(ゲバラ)は父の姓だ。
シャツのデザインによく使われる宙を見据えたような表情は、貨物船ら・クーブル号爆破事件の犠牲者の追悼式に参列したときのものだ。何度も見ても一瞬足を止めてしまう何かがある。喜怒哀楽のどれかひとつだけではない。怒りと哀しみと覚悟がない混ぜになった、割り切れぬ表情をしている。
キューバ革命を経て、7年ぶりに母親に再会した写真がポストカードになっている。母親の顔にぴったりと頬を寄せ、葉巻をはさんだままの手を母親の首に回している。破顔一笑しているような、くすぐられて思わず笑みがこぼれたような表情だ。母親は背中しか見えない。20代の頃は母親に再会したゲバラにばかり気持ちが入っていた。どんな七年間だったのか。腕のなかにやっと母の厚みを感じたとき、彼はなにを思ったのか。
あれから十数年が経ち、今は母親に想いを馳せている。我が子の生をどんな気持ちで見届けたのか。ゲバラがボリビアで銃殺された直後の写真も残っている。その亡骸を、彼女は目に映すことができたのか。自分が命懸けで心をかけた相手が、命を落とした。私には、彷徨い砂の上をさすらう姿しか見えない。
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