SF創作講座7期第3回梗概「描かれた救世主」

1938年イギリス
ロンドンに住む騙し絵画家テオ・ブレックマンは一時はもてはやされたこともあったが、今では世間は騙し絵への興味を失い、今日食べる食事にもありつけない落ちぶれた生活を送っていた。
テオはこれまでの人生でいくつもの失敗をしながら、騙し絵を描く上で絶対にやってはいけないことを三つ学んだ。
・影の方向を間違えてはいけない。(道端で老人から馬鹿にされて学んだ)
・そこにあるべきものを書き忘れてはいけない。(そのせいで絵の報酬を受け取れなかった)
・絵の中にサインをしてはいけない。それが絵だと分かってしまう。(思い出したくもない)
テオは生涯このことは誰にも他言しなかった。
テオの元にウォルターという男がやってきて絵を描く依頼をした。どこかも分からない場所へと連れて行かれ、広い地面に車の騙し絵を描かされた。はじめは食事にありつけるのであればそれが何のための絵なのかはどうでもよかった。
テオは近くの屋敷に泊まり込みで絵を描かされた。次の要求は戦車の絵になり作業のために部下をつけられた。要求が飛行機、建物となっていくにつれ、軍事基地の騙し絵を描いていることにテオは気づく。ウォルターを問いただすと近々戦争が起こり、この軍事基地の絵が偵察機からの囮になるという。戦争に加担するつもりはテオにはなかったがそのことを知ったからには抜け出すことはできなかった。
数年後、囮の軍事基地の数が30にもなった頃、戦争が起きた。テオの描いた囮の軍事基地によって敵は戦力を誤認し、そして落とされた爆弾は無駄になった。そのうち敵もこの作戦に気づきはじめた。
ある時敵の爆撃機のパイロットが目標の空軍基地が騙し絵であることに気づいて攻撃を中止した。今にも西に太陽が沈んでいく中、塔の影が南を向いていたからだ。その日、同様のことが何件か起きた。
実のところそれは本物の基地に、あのやってはいけないことを実践した騙し絵をくわえて、あたかも全てが騙し絵であるかのように見せたウォルターの作戦であった。
次の日からロンドンへの空襲が始まった。空襲は57日間にも及んだが、テオの騙し絵によって守られた空軍機の防戦もあり敵軍はあきらめた。死者はロンドンだけで四万人以上に及んだ。
テオはいかなる活躍をしたとしても戦争に加担したことを悔やんだ。

2002年イギリス
大学生ベッカはテオ・ブレックマンについて調べていた。今やテオ・ブレックマンは存在しない画家であることが定説となっていた。テオは戦後の責任問題を避けるために作られた、架空の人物であるとされた。ベッカは1920年代に描かれたとされるテオの絵を見に行く。その絵の中にはテオのサインが描いてあり、一目で騙し絵だと分かる駄作だった。
ベッカは実はテオのひ孫であった。ベッカは曽祖父が戦後自らを歴史の中の騙し絵のようにして姿を消したことに想いをはせる。

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