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7月上旬から実戦登板へ 「僕は必ず復活します!」

VOL30.投手 河本 祐嗣 (かわもと ゆうじ)背番号47・3年目

Profile
1999/1/12生れ 24歳 175㎝/80㎏ 右投/右打  東京都出身  志学館高~神奈川工科大

 河本投手はパイレーツに入団した1年目、クローザーとして32試合に登板し1勝3敗4ホールド2セーブ、防御率3.86を記録、投球回数を上回る60個の三振を奪った。中でもその年の5月30日のソフトバンク3軍戦で見せた投球は鮮烈で、3軍とはいえNPBの打者が彼の最速153㌔のストレートに歯が立たなかった。しかし、2年目は前期の不調が響き、登板20試合で1敗1セーブの防御率4.50に止まった。
彼は3年目を控え、シーズン終了後も松山に残りトレーニングに励んだ。2年目と同じ轍(てつ)を踏むことなく「3年で結果を出す」と意気込んだ。「昨年オフの11~12月、いいボールを投げていました。びっくりするくらい調子がよかったんです」。気持ちは高揚し、「3年目はいけるぞ」と、年が明けても好調ぶりを維持。「2月に入ったばかりなのに球速は140㌔台後半まで出ていた」という。まだまだ気温が低いにも拘らず仕上がりは急ピッチで、「チームメイトはそんなに出力すると危ないと思っていたらしいです」。その懸念は残念ながら当たることになる。2月上旬の坊っちゃん球場のブルペンで投げた際、彼の肘にピリリと電気が走った。

入団後初めて長期離脱するも順調に回復

彼は首脳陣の指示に従い松山と東京の病院に走った。診断結果は内側副靭帯損傷。それまでの野球人生で肘を故障したことのなかった彼は、戸惑い、動揺した。「今季はチームの投手登録も多いので、この故障でもしかしたら退団しないといけないかも知れない。でも、そうなったら仕方ない」。彼は腹を括った。治療にはトミージョン手術の選択もあったが、医師の見立てによりPRPという保存療法が採用された。彼はチームを離れ、東京で2か月間療養に務めた。パイレーツに入団後、初めての長期離脱だった。
 彼は4月中旬、松山に戻ってきた。「順調に回復しています」と表情は予想以上に明るい。帰松後は、タオルを持ってシャドーピッチングを始め、腕の振りに慣れさせながら数メートル先のネット相手に投げ、徐々に指先の感覚を取り戻し、違和感を取り除きながらキャッチボールを行い、焦る気持ちを抑えながらその距離を徐々に伸ばした。「2歩進み1歩下がるくらい慎重にリハビリしました」と振り返る。その甲斐あって現在はブルペンに入っていて、「回復は医師からも太鼓判をもらっています」と、口元を緩ませる。

下半身強化に余念がない河本選手

 肘の故障から5ヵ月間、彼はこう力強く宣言する。「僕は必ず復活します。期待していて下さい」。そのタイムスケジュールを指し「7月上旬には実戦に戻るつもりです。戻る以上はマックスで投げられるようにします」とし、「前期に注目された投手よりもいいボールを投げ、打者を圧倒したい」。10月のドラフト会議を指し、「ドラフトは7~9月が勝負。自分のボールを取り戻しスカウトの方々の前で投げられたらいい方向に向かうと思います。今回の故障が『災い転じて福となす』にしないといけません」。パイレーツで恐らく最後になるであろう彼の挑戦を刮目(かつもく)し、記憶に焼き付けたい。

ひとくちメモ
趣味:ゴルフ
血液型:B型
愛称:ゆうじ
好きなタレント:IVEのガウル/ルセラフィムのチェウォン
好きな食べ物:餃子・梨
苦手な食べ物:特になし


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