仮面ライダーオーズ10th 復活のコアメダルを見て「コレじゃねえ!」って思っている人達へ
注意事項
題名にもある通り、仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダルを視聴した人に向けての記事です。重大なネタバレを含みますので、見視聴の方はこの時点でお戻りください。
また、今回の結論は仮面ライダーオーズという「映像商品(≠映像作品)」に対して「否」を突きつけます。
仮面ライダーオーズを心から愛されているファンの皆様の気分を害されるかもしれませんので、閲覧は自己責任でお願いいたします。
昨日 仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル、私も見てきました
あの結末で私も言い知れぬモヤモヤを抱えて昨日から色々情報集めたりしていたのですが、ひとまずこのモヤモヤに対して、メタ的に理論づけることができたので情報共有のつもりで書いています。
(なお、本記事がnote最初の記事です。自己紹介とか何もなく(笑)
「取り合えずどっかにこの考え方を共有せねば!」という変な使命感で書いてます。これだけのためにnote開設したので、それだけ私を行動させるエネルギーを与えた素晴らしい作品だと思います)
私が住んでいるのは地方なので、約1か月公開が遅れており、まだコロナも流行っているので公開初日(先週)を避けて行ってきました。
私自身待ちきれず、3月後半にちょこっとだけ事前情報として、「賛否両論である」という情報だけ持って、あとは当日の楽しみにしようとそれ以上の情報は収集していませんでした。
で実際に見てみて、「ああ、こりゃ確かに分かれるわ。。。」と。
で、他の人の意見や反応を調べました
私自身モヤモヤしてしまったので、昨日から作品に対する良否の意見、いろいろな方の意見を調べました。
すばらしい!と絶賛する人もいれば、悲しい、と素直に悲しむ人。
そのぐちゃぐちゃになった感情の向ける先が見つからなくて、作品の細部に言及する人。
過去作からの流れをまとめなおす人。
結論、「作品」的な観点と「商品」的な観点の2つの観点で分けて考えると良いです
どういうことかというと、
純粋に「作品としてみたときに作品の流れや、作品の出来」を評価する観点
と、
「商品としてみたときに、自分の見たいものが見れたのか」という観点
です。
ここをごっちゃにして語ると、「よかった!でもコレじゃない!」と相反する気持ちになってしまって、どう落としどころをつけたらいいか分からなくなってしまいます。
「作品」的な観点から見た評価
単純に、「素晴らしい」に尽きると思います。
何より当時のキャスト、中には俳優さんを既に引退された方も「この作品なら」と揃えてもらえたことが、とても素晴らしい。
また予算の都合もあったのでしょう、1時間という短い時間の枠の中に、物語上重要なポイントをしっかりと詰め込むことができていました。
結末も「欲望」という言葉を使っている作品としては、考えられる終わり方の1つ、「欲望ばかりかなえていると身を滅ぼす」という結末を迎えているという意味で、筋が通っていると思います。
欲を言えば、800年前のオーズが復活し、日常が壊されるところから描いて欲しかったなとは思いますが。
あとは、オーズドライバーがポンポン出てくるところはどうなんだ、とか。。。
まぁ、ここは10周年のお祭りなので、細かいところはいったん置いておきましょう。
私はCSMオーズドライバーを買うほどコアなファンではないので、その辺の細かい評価はもっとコアな方にお任せしようと思います。
「商品」的な観点から見た評価
私が今回伝えたいのは「商品」として見たときの内容です。
そもそも「商品」は、食品や家電を想像してもらえばわかる通り、「顧客の要求・要望(作品的には『欲望』)」に応えることができて初めてその価値が認められます。
食品を温められない電子レンジとか映像が映らないテレビとか要らないですよね?
そういった不良品を「漬物石になるわ」って喜ぶ人はまずいないと思います。
その観点で見ると、あの「映像商品」には『商品価値』がありません。
いえ、一部の人には確かにあったと思うのですが、これだけ否定的な感情が噴出している状況からして、その価値は凄く低い=「視聴者の欲望を満たせなかった商品」ということになります。
その意味で、この作品の「罪は重い」です。
何故なら、「仮面ライダー作品」として、この罪は「初犯ではないから」です。
そう、過去にも同じ「失敗」をしたことがあるんですね。平成ライダーは。
私は過去、これと同じ衝撃を受けています。仮面ライダー龍騎と、仮面ライダーブレイド放送当時に。
これらの作品はのちに「仮面ライダージオウ」で、前者は「RIDER TIME 龍騎」として、後者は「ブレイド編」で結末が描かれ、まぁ最良のハッピーエンドと行かないまでも及第点くらいの結末に落ち着いています。
そもそも「RIDER TIME 龍騎」と「ブレイド編」が撮られ、あの結末になったのは当時の視聴者がテレビシリーズの結末に満足していなかったからです。
これらの作品も「商品」として見たときに、視聴者が満足できるものではなかったのです。
その「尻拭いまでした経験があるのに」またやっちゃった。
しかも、10周年というお祭りの作品で。
正直映司が死ぬところ~エンドロールまでを見た直後、「なんで同じ失敗をまたやるかな。。。」と思いました。
今回の「映像商品」に求められていたのは視聴者が見たかったのは最終的に映司、アンク、比奈ちゃんの3人がそろって終わる映像な訳で、その結末が描かれなかった時点で「商品価値はない」と思いました。
(重ねますが、「作品としての価値」は十分すぎるほどだと思います)
仮面ライダーオーズ10th 復活のコアメダルという作品の主題
さて、今回結末が示されたということで、仮面ライダーオーズという作品に込められた主題が少し変わったというか、俗物っぽくなったな、と思います。
元々テレビシリーズの際は「欲望」という一見マイナスな言葉を「希望」と読み替え、希望を追い求めることの素晴らしさを当時の子供たちに教えていました。
その子供たちが大人になり、人によっては社会の荒波を経験し、「当時の思いを想起させたい」と思って、「当時叶えられなかった自分たちの見たかったもの」を見たくて劇場に足を運んだんだと思います。
今作のテーマは「自分の思うがままに欲望を叶えたらどうなるか」という、当時とはある意味逆の、よくあるテーマになっていると思います。
これらのことを俯瞰すると「希望」に夢を見た子供たちに「そろそろ現実を見ろよ」という製作サイドからのメッセージとも捉えられ、「そんなことを言われるために見に来たんじゃないんですけど。。。」と思ってしまっても仕方ないんじゃないかな、と思いました。
(尤もこれは私がこの作品のテーマを考えた場合の主題であり、必ずしも製作サイドがこういうメッセージを残したかったのかというとそういうことではないのだろうとは思います。ただ、こうも考えられてしまうよね。という話です)
制作サイドの想定外だったこと?
ただ1点、おそらく制作サイドの意識から抜けていたと思われるのは、「当時の視聴者が親になり、その親に連れてこられたの子供」の存在です。
私が見終わった後、すすり泣く声と「え・・・なんで・・・?映司って主役じゃないの・・・?」と困惑する子供の声。
おそらく母親が当時ファンで、「自分が知っていて、面白い仮面ライダーだから」ということで子供もつれてきたのでしょう。
映司とアンクが再会できるという、我々が望んだハッピーエンドを期待して。
あの子供にとっては、まったく訳が分からないうえに主人公が最後にまざまざと死んでしまったわけで、本当に不憫だと思いました。
内容が内容だっただけに、これは映画館ではなくTTFC等での配信の方が良かったのではないかな、とも考えさせられました。
キャッチフレーズの「いつかの"明日"に手が届く!」が完全にミスリードしていますね。
俺たちが求めていた「いつかの"明日"」に届いてねぇ!
まさに、「違う、そうじゃない」と全員が思った作品です。
まとめ
「仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル」を視聴して、賞賛する声とあの主人公が死ぬという衝撃的な結末にショックを受けた声の両方の意見に対して、
作品価値
商品価値
という2つの観点から分析してみたらいいのではないか、という提案と、この観点から私の評価を述べてみました。
この考え方が、記事を読んでいただいたの気持ちの整理につながれば幸いです。
今回偉そうにいろいろ書いてしまいましたが、実はこの2つの観点は両立させるのが非常に難しいです。
私も現在イラストレーターとして活動するためにいろいろ勉強・準備をしていますが、自分の描きたいもの=作品価値を高めようとするほど閲覧者ウケない作品になり、逆に閲覧者ウケする=商品価値を高めるような作品を考えると必ずしも自分の描きたい作品にならなかったりします。
(その意味で、この作品は仮面ライダーオーズの「作品価値」が最大化されたのでしょう)
これらの価値をどうバランスをとっていくかが大事なのだと思います。
仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル 個人的な感想(その他)
仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル、今まで述べてきたように、個人的に最後の結末としては残念ですが、最後にアンクが映司のために泣いたのはよかったな、と思います。
後は映司が気合で(笑)くっつけたメダルですが、多分映司が潰える直前の自分の命を担保に錬成したのではないかな、と。
だからアンクが「バカか!なんでそんなことした!」って怒ったんだろうなと。
所詮SFですしそもそも人が体にメダル取り込んだりしてますし。
生体エネルギーをメダルの接着剤にしたっていいんじゃないですかね(雑?
ただオリジナルの映司は死んでしまったのですが、今回新造グリード「ゴーダ」が登場したことから、そういう意味では全く希望がないわけではありません。
鴻上コーポレーションがこれからクローン技術を開発して、そのクローン映司に記憶を埋め込めば復活も可能でしょう。
現実に考えると「クローンって別人なんだから記憶は埋め込めないでしょ」と思いますが、そもそも「記憶を吸い出せるんだから記憶を埋め込むこともできる」と言ってしまってもいいと思います。
あるいはまた電王かジオウかその辺の人たちに過去改変してもらうか。。。
令和ライダー10周年あたりで、何とかならないかなぁと期待します。
欄外:今後のnote運営について
今回冗談抜きで「見切り発車」してしまったので、今後の展開何も考えてないです(笑)
もしかしたらイラストレーターの活動する傍ら何かしら運営するかもしれませんが、本当に今回きりのnoteになる可能性も大です。
(今私の「欲望」は、「イラストレーター」として仕事を受け、「イラストレーター」だけで食っていけるようになる事です)
本記事もしばらく掲載しておきますが、何かの拍子に削除するかもしれません。
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