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Stories of Chai - 心遣い

Stories of Chai ー インドのChai(チャイ)は甘くておいしいミルクティ。そのチャイを囲みながら語られるのは、私たちの心に響いた、とっておきのストーリー。これからお話しするのは、そんなお話のひとつです。

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2019年の7月半ば、私は実家帰省のため、約一年ぶりにカナダから日本へ帰国しました。私は大学卒業後、2015年頃から長期で海外に滞在することが多くなりましたが、海外からさらに別の国へ出かけることも増えると、だんだんと心の中で外国と日本という区別がなくなってくるから不思議です。大学生の頃に、東京から仙台に帰省した時のような感覚で、オタワから仙台に帰省する ー もちろん、こんな錯覚に浸れるのも、飛行機というハイテクがあるおかげですが。


いつも私が帰国するときは、両親とは飛行場ではなく、地元仙台駅で待ち合わせるのが習わしとなっています。その日も、私は午後に羽田空港に降り立つと、ひとり荷物を整理してモノレールで東京駅へ、そこから一番早い時間の新幹線はやて号に乗って仙台へと向かいました。

東京駅の真夏の雑踏を抜けて、静かで冷房の効いた新幹線の中へ入り、二人掛けの通路側の指定席に座って、私はようやく安堵の長いため息をつきました。東北新幹線に乗ると、私は家に戻ってきたような感覚になります。車内の空気で、そこには同郷の人が乗っていることが分かります。そして、人々の話し声に耳を澄ませば、もうこれぞ、東北の人々。

私はひとりにんまり笑うと、リュックから日本の携帯を取り出して、仙台の母へ一報入れました。隣には、私と同じ年頃の男性の会社員と思われる人が窓に顔をもたせかけて眠っていました。きっと、出張で疲れた一日が終わって、これから家に帰るところなのです。その人の背広の上着が、前の座席の背もたれのフックにかかっていました。そして、その裾野がかかる足元には、座席の下に無理やり押し込められた私の大きなリュック。

母へのメールを書き終わって、携帯をリュックへ戻そうと私が身を起こした時、ふいに、隣で眠っていた男の人が、目をつむったまま、無言で私のリュックにかかっていた背広の上着を、窓側のフックへと移しました。

私は驚いて、身体丸ごとその人の方を向きました。

「ありがとうございます!」

とお礼を言うと、その人は相変わらず目を閉じたまま、軽く頷きました。

前を向き直り、自分も椅子に深く身をもたせながら、私は温泉のお湯に浸かった時のように胸がすーっと温かくなるのを感じました。思わず、涙なんかも出てきたかもしれません。この時でした、私の心と体が本当に日本に到着したのは。

この男の人が無言で上着をよけた一つの動作の中に、一体どれだけの観察と思慮が詰まっていたことでしょうか。私が携帯をリュックから取り出したこと。携帯を使い終わったからリュックに戻すに違いない、という推測。それならこの上着が邪魔だろうからよけてあげよう、という思慮。こういったものがすべて結晶して、私がわずかに身を起こしただけで上着を別のフックにかけ替えるという動作につながりました。しかも、そのことを私に気づかせないほどのさりげなさ。

でも、私にはこの人の心遣いが手に取るように感じられました。それは私もこういう深くてさりげない心遣いの文化の中で育ったから。この人の無言の一瞬の動作の中に込められた気遣いが、私の`胸に、ずどーんと響きました。とても懐かしく、そして嬉しかった。

これが例えばカナダだったら、私が上着の裾をリュックからよけようとしてゴソゴソやって初めて、相手の人は私が携帯をリュックに入れようとしていることに気づき、「Sorry」と言いながら上着をよけることでしょう。その時にお互い会釈なんか交わしたりして。それも悪くはない。

でも、この日は、懐かしい馴染みの心遣いが身に沁みました。そして、心地の良い新幹線の座席で眠りにつきながら、私は自分の意識の奥に刻まれた母国文化の存在感に感嘆のため息をもらしたのでした。


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