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寒い朝

息子が熱を出した。
夜中に授乳で起き、母乳を飲む口の中が異様に熱くて気づいた。
まだ3ヶ月。こんなに早く風邪を引かせてしまうなんて、自分いたらさなさにうんざりする。
鼻の調子が悪いのでぐずぐずと眠れない息子を抱いて、リビングをうろつく。そういえば、娘が赤ちゃんの頃にもこんな風に抱っこしたっけ。
なかなか眠らない息子のぐずり声と、寝かしつけるわたしの声を気にして、夫が起きてきて抱っこを代わってくれた。
嬉しさと、申し訳なさで居ても立っても居られないような気分だ。

だいたいにして、わたしは家族に常に引け目を感じてしまう。
娘を産んだ後から、わたしは「絶対にこの子を死なせてはならない。幸せにしなくてはならない」と、それはもう強迫観念のような気持ちで過ごしてきた。
そんなに必死なものだから窮屈で苦しい育児をしてしまう。「お母さんが笑顔で」「●●だっていいじゃない」のようなポップな表紙の育児書が恐ろしくて、本屋の育児書コーナーにも行けない。
そんな母親に育てられるわたしの子どもたち。そんな育児をして、行き詰まって泣き出す妻を見ているわたしの夫。
だから、家にいると息苦しいような気がしてしまう。

夫が寝かせてくれた後、再度の夜泣きを抱っこでしのぎながら、カーテンの隙間から白くなり始めたリビングで過ごす。
時計を見て、もう家族が起きる時間だと気づき、眠れなかった夜が名残惜しい。
このまま寝不足で、ぐずる息子と1日対峙するのかと思うと、頭の中で枯葉が踏まれるような音がする。

娘は食にあまり興味がない。朝食のトーストには、ジャムやピーナツバターやクリームチーズ。色々なものを少しずつつけて、色とりどりだ。
口にトーストを一口入れたまま、この子はもう何分咀嚼をしているんだろう。時計を見ると苛立つので、なるべく自分の食事に集中する。
あとは歯磨きをさせて、髪を結んで、寒くなってきたからジャンパーも着せなくしゃ行けないし…頭の中はto doで埋め尽くされている。

玄関のドアを開ける夫と、その足元をすり抜ける娘を見送って、まだぐずる息子を抱っこしにリビングへ戻るべく踵を返す。
と、同時に、娘の「行ってきまーす」が閉まったドアの外から聞こえた。
「いってらっしゃーい」こちらも、ドアをしっかり超えて娘の耳に届くよう、大きな声を出してみる。同時に、ドアが開いた。
「早く行きなさい」とわたしが言うより一瞬早く、娘が言う。
「元気パワー!注入!!」

だから家族といると、息苦しいのだ。
イライラして、落ち着かなくて、不安いっぱいのわたしのことを、わたしの家族は無条件に受けれいてくれてしまう。
わたしですら認められないわたしのダメさを、不機嫌を、元気パワーが巻き取ってどこかへ連れて行ってしまう。

ドアが閉まって、夫と娘がキャッキャ騒ぎながら会社と保育園を目指す声がほのかに残る。
わたしは改めて、息子を抱っこするためにリビングへむかう。
さっきまでより少し、抱っこされる息子の顔が可愛らしく見える。


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