ぞうさんとゆでたまご

鍋を火からおろして、流しに持っていく。
蛇口をひねると、あまり冷たくはない水が勢いよく飛び出してくる。
卵を回して水を行き渡らせてから、ひとつとって調理台に打ち付ける。思い切りよく、しっかりヒビが入るように気を付けながら。

ゆで卵をよく作るようになった。
一人暮らしをしていた頃から料理は好きで自炊していたけれど、卵料理はなぜか苦手だった。卵焼きは作ることができるのに、スクランブルエッグはフライパンにこびりついてカピカピになるし、ゆで卵は硬すぎたり生煮えだったり。
あまりにも卵料理のセンスがないので、お弁当用の卵焼きと親子丼の卵とじの他はほとんど卵料理はしてこなかった。

それが、子どもが食事を摂るようになると、卵の便利さに助けられるようになった。調理に時間もかからないし、栄養価も高い卵は、兼業主婦であるわたしにとって救世主だった。なにより、動物性タンパク質を好まない娘が率先して食べてくれるので、冷蔵庫に卵は欠かせない。
レシピをきちんと見ながら作るようにして、今それまで苦手だったゆで卵もほとんど失敗なしに作れるようになった。


流水にさらしながら殻に指を入れると、つるんと白身から剥がれる。
ぷりっぷりの白身をみて、つい子どもたちの横顔を思い出した。

綺麗な肌を「たまご肌」なんていうけれど、子どもたちの肌はやわらかな産毛が生えていて、ふんわりとした弾力があって、卵とはちょっと違う。けれど、その丸みや殻から飛び出した無垢な姿が、なんとなく子どもの頬に似ているように思える。

今朝、娘はいつものように教育番組を見ていた。
「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね」
わたしも子どもの頃から耳慣れた童謡が流れるのを、娘はにこにこと口ずさんでいた。

歌が終わると同時に、「そうだよねー」と娘。

わたしは家事をする手を思わず止めて、「そうなの?」と聞いた。
当たり前だよ。みんなお母さんが好きなんだよ」

ぞうさん ぞうさん だれがすきなの
そうね かあさんがすきなのよ

そうかあ。そうなのかあ。
わたしは噛みしめるようにつぶやいてしまったけれど、そんなことはおかまいなしに彼女は次のコーナーに夢中だった。

そうかあ。そうなのかあ。みんなお母さんが好きなのか。

その「みんな」は誰なんだろう。
彼女の「みんな」は保育園のお友達や、弟のことかもしれない。それから夫も「みんな」に入るかも。
「みんな」みんな、お母さんのことが好きなのかしら。


わたしは…母との関係は、年々複雑さを増している気がする。
自分が親になったことで、母のありがたさをひしひしと感じる。いっぽうで、もっと違う愛情のかけ方をして欲しかった、と恨めしく想う気持ちもある。頼りにしたい気持ちもあるし、頼ってはいけないという気持ちもある。
この複雑さのために、「好き」とはっきり言ってはいけないような気持ちもする。

でも、そうね。わたしも「かあさんすき」なことは否定できないな。

ただ、「かあさん」とは、言えない。
「かあさん」も好きだけど、「夫」もとても好きだし、「娘」と「息子」は絶対大好き。
大人になると好きもいろいろ、難しくなってしまうのかもしれない。

ゆで卵は、小さい片手鍋にぎゅう詰めにして、6つ完成した。これを味たまにしておけば、朝ごはんに添えたり夕飯のメインが子どもウケしない時に出したり、お助けメニューにできる。
小さなタッパーに、卵は白い姿を行儀よく並べている。
なんだか子どもたちのニコニコ顔が見える気がして、いつもよりそっと、布団をかけるように蓋を閉じた。

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