自分は自分か

自分が体と考えた場合、まず体全体が自分と考えると手術して移植した場合それは自分で無くなってしまうといえます。変わった部位も含めて自分だとするなら、体の全てが機械によって作られても自分と言えることになります。しかし、流石にその状態を自分とは認められないはずです。という事は、体を自分とした場合どこかの部位が変わった瞬間、自分は失われると考えられます。ここで多くの人は、心臓、脳のどちらかを挙げるでしょう。たしかに生命の維持の重要な部分と、私たちの個性を生み出している部分でもあると思います。しかし、これも移植できると思います(今の医療はよく分かりませんが)。では、脳だけが移植されたら自分ではなくなってしまうと思いますか?ほとんどの体は全て自分なのだから自分と言うでしょう。体全体ではないと言ったことから矛盾しますね。ここで、新たな案が生まれます。体の半分を占めているのが自分であれば自分。これはなかなか名案です。しかし、脳と頭以外自分の人を自分と呼べるかと言ったら、微妙かも知れません。(今は当事者ではなく客観的に考えてみてください)私には、体を自分とする根拠は他に見つかりません。そして、全てこのように明確な説明はできません。よって自分は体で決まるわけではないのです。本当は、この説が物理的で簡単なので、まとまって欲しかったんですが、そう簡単にはいかないようですね。
ここで皆さんにアンケートを取ってみたいと思います。
できればコメントに答えて欲しいです。
問「自転車のサドルがブロッコリーに変わる事件がありました。それはブロッコリーですか?それとも自転車ですか?
自転車と答えた場合何を交換したら自転車で無くなりますか?」

次は魂から見た自分について描きたいと思います(分かりにくく長くなってしまったらごめんなさい)