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人間らしく生きる

noteって、頭にぱあって書きたいことが降りてくるときがある。そのほかにも書こうとするときはあるんだけど、そういう時に書いたやつは大体下書きにたまっていく。今はぱあって降りてきた。作家さんとかアーティストの方がよく言うやつ私も少し言ってみた(笑)


人間らしく生きたい。

これは、私のありたい姿でもあり、私らしさでもあって、願う姿でもある。私の中で人間らしさって??

感情日常自然を大切にして、
を生きる人。


日本以外の地に降りた。

なぜ人間らしさを求めるようになったか。

大学1年生の夏、フィリピンはカオハガン島にいった。高校時代よく見てた動画クリエイターの山下歩さんのYoutubeに上がった1本の動画をみて、ここに行くと決めた。​

(動画のURLは最後に張っておくのでよかったらどうぞ。)

「なにもなくて豊かな島」

当時の私からするとどゆこと???って感じ。お金があればあるほど、物があればあるほど幸せになれると思ってたけど、あれちょっと違うのかもって思ってたモヤモヤにズッコーンと突き刺さってきた感じ。認めたいけど認めたくない感じ。

そんな興味本位で見た動画の中には、別世界が広がっていた。私が今まで見たことのないような世界。電気は夜だけ??冷蔵庫がない??みんなが外に椅子を並べて喋ってる??人家族の収入は、月9500円??でも、暮らす人たちは、とても幸せそうな顔をしている。自分の目で見て体で感じたいと思った。動画の最後にスタディツアーの紹介をしてたから、母に私ここに行く!!!と伝えて、一人でツアーに申し込んだ。


ワクワクと、ドキドキと、やってしまった感を抱えて私は、人生で初めて日本以外の地に降り立った。空港を出ると、現地に住んでいる日本人の方がお迎えに来てくれて、港まで移動する道中も車の窓に張り付いてみていた。日本よりも暑くて、わちゃわちゃしてるこの空気なんだ!!なんだなんだここは!!なんて思いながら、目に入ってくる風景すべてが私にとって新鮮だった。

カオハガン島に到着。あとから聞いた話によると、船で移動する道中、船の舵を取る部分が壊れて結構やばかったらしい(笑)
約1週間。携帯も使わず、この島で暮らした。シャワーは温水がでないし、冷蔵庫も洗濯機もない。島を歩けば、そこらへんで寝ている人や、裸足で走り回る子ども達、それを椅子でだべりながら見守る母親らしき人、船を出してたくさん魚を釣ってくる人。

15mぐらいあるヤシの木によじ登って、実を落とし、堅い皮を歯で剥いで、ココナッツを食べる子ども達。

何もなくて、豊かな島だった。

このキラキラした笑顔が、幸せそうなオーラが心の底からうらやましくなった。

同時に、日本での目の前に人がいても下を見て機械とにらめっこする光景に、常に何かに追われせかせかした日常に、物もたくさんあるのにどこかつまらなそうな顔に違和感を覚えるようになった。

私もフィリピンの人達みたいに、命のエネルギーが溢れるように生きたい。この差って何なんだろう。ってずっと考えていた。タイやラオス、カンボジアに行って感じて帰ってくるたびにそのもやもやした差を考え続けた。

私なりのたどり着いた答え。

人と感情と日常と自然を大切にして今を生きる。
「人間らしさ」


人。

この島の人は口をそろえて言う。
「家族と一緒に暮らせていることが幸せ。」と。東南アジアに行ってうらやましいと思う光景No1は家の外に椅子を出して、みんなでだべっている光景だ。一方で日本で違和感を感じるのは、目の前に人がいたとしても機械を見てしまう光景。今、目の前にいる人と今を楽しんで生きる。

そんなことにヒントを得て、人を大切にすること。を人間らしさの要素だと考えるようになった。

目の前にいるあなた。そこにいるあなた。この世界に一人として同じ人はいない。唯一無二の存在。一人一人その人らしさがあるわけで、興味があることさえ違えば、今この一瞬の選択する道でさえ違う。目の前にいるあなたがもしカメラに興味があるならば、それ自体があなたらしさで、かけがえのないものであるととらえる心。人は代わりのきく機械じゃない。「普通」なんてない。あるべき姿や型なんてなくて、一人一人をらしさあふれる一人の人間であるととらえること。

感情。

レポートの提出期限が、、電車の時間が、、私たちは常に時間しなければいけないものに追われている。別にしたいことじゃないのに。島の人たちは、寝たいからお昼寝をし、だべりたいから人と話していた。興味があるけど、私にはセンスないしな、、。なんて思うこともある。誰が決めた?やってみなきゃわからないだろ!!だから私は、追われる人生じゃなくて、制限される人生じゃなくて、感情のままに、自分の心を追い求める人生を歩みたい。

日常。

ラオスで、十分に整備されていない道を約10時間車に揺られながら移動した。何もない暮らしを体験してみると、日本での光景すべてが輝いて見える。高知へ向かう山道も、だれかが道を整備してくれて、道路の消えかける線も誰かがいつの間にかひきなおしてくれる。道路に木の枝がはみ出ていないのも誰かが切ってくれている。私の使うモノたちも誰かが考えて作ってくれたもの。初めは、すごい!なんて思っていることもいつの間にか、慣れに代わっていって、あって当たり前だなんて思う。その瞬間が一番幸せから遠のく瞬間。日常はこんなにも誰かのおかげで成り立ち、かけがえのないものでありふれているのにその価値に気付けなくなる時。だから、日常に埋もれさせてしまった小さな幸せ探しをする。私の周りはかけがえのないものであふれている。

自然。

島では、何度か命をいただく瞬間を見してもらった。島の人たちは常に、自然の中にある命と寄り添い、感謝し、自分の糧にする。自然に守られて生き、自然を守る。風の音、波の音、鶏の鳴き声。すべての自然の音を体で感じる。自然があってこその私だ。私が今生きられているのは、命の循環のおかげでそれを支えているのは間違いなく自然だ。


人間らしく生きる。

今目の前にいる人と、
今の私の感情のままに、
今私を支えてくれる日常の幸せを見つけながら、
自然の中で今を生きる。

これが私らしさで、私のありたい姿。


※写真はカオハガン島の夕焼け



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