「理由」聞きたくない
友人には遠距離の恋人がいるのですが、最近だいぶ愛が冷めてきているようです。
理由は束縛と仕事の愚痴だそうで。
異性の友だちとオンラインゲームを楽しんだり、通話したりすると、不満な態度をSNSで必死にアピールしてくるのだそう。
傍から聞いていればかわいい嫉妬ですね。
特に仕事が原因で気持ちが落ちている時には、そうした嫉妬が酷くなるのだそう。
だそうです。不毛…。
友人の彼氏は、友人自身と似た者同士な部分があって、”かまってちゃん”で”メンヘラ気味”です。
似た者同士だからこそ、互いの不平不満や不安も分かり合えるんじゃないかなと思っていたのですが。
今はそれよりも同族嫌悪のような感情が友人の中で強いようです。
なんだかなぁ。ちょっと不憫な気持ちになります。
ねぇ、彼の事。そんな風に言うけれど、
あなたが鬱で辛かった時、根気強く話を聞いてくれたんじゃなかったっけ?
あなたの生い立ち、置かれている境遇、不安、トラウマ。
全部聞いて、「つらかったね」と言ってくれたんじゃなかったっけ?
あなただって数年前までは、
「自分は接客業しか、アルバイトしかできない」
って思ってた側じゃなかったっけ?
ねえ、あなただって。
かまってちゃんで、
仕事に一生懸命な分、落ち込んだり悩みを抱えがちで、
そうした不安をわかってほしくて、
ただただ愛してほしくて、
仕方がない人じゃなかったっけ?
そんなあなただからこそ、
逆の立場になっている今、一番わかってあげられるんじゃなかったっけ?
第三者の私はそう思ったりします。
友人は昔と比べて、自分の分析が上手になりました。
不調や思った通りにできないことに対して、
「理由」をつけられるようになりました。
恋人に関する愚痴や、上手く付き合えないことについても、
こうした「理由」が度々、友人の口から出てきます。
ちゃんと「理由」があるから、必要以上に自分を責めなくて済むし、
自分の中で上手く折り合いをつけられるようになったのではないかと、
そばで友人を見ていると感じます。
でも。
でも、正直。
こうした「理由」を話の中で出されるのは、あまり好きではありません。
だって、そしたらこちらは何も言えなくなってしまうから。
それらの名称の「理由」たちは、友人が自身を理解し、守るために必要なものなのだと思います。
でも、聞いているこちらは盾で攻撃されているような気持ちになる。
逆にこれまで自分が理不尽に攻撃していたかのような気持ちにもなる。
そんな風に思ってしまうことに、自分の心の狭さや未熟さに不甲斐なさを感じるし、情けなくなるし、罪悪感も感じる。
それ以上、注意したり、怒ったり、できない。
当事者じゃないのに、わかったようなことも、アドバイスも言えない。
「大変だね」
そんな、本当は言いたくない言葉しか言えない。
「大変だね」で片づけたくない。
だって友人は、そんな「大変だね」という言葉で片付けられてしまうところよりも、素晴らしいところが沢山あるから。
どうせならそっちを言葉にして言いたい。
友の口から「理由」よりも聞きたいのは。
私が本当に聞きたいのは、
みたいなことなんだと思います。
そしたら私は、
って、笑顔で言えるのに。
ラベリングするかのように「理由」をつけて、
諦める様子を目の前で見ると、
同時にこちらも何か大切な感情を殺されていくような気がします。
自分のことはあくまで自分自身で解決しようとする気持ちも、
友人の素敵なところだと思うのですが、
それで怒ったり落ち込んだりしていると、
なんだかこっちまで落ち込んでしまいます。
友人が頼るということをためらわなくていいくらい、
強くて優しい人間になりたいです。
でもそれってどうやったらなれるんだろう?
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