見出し画像

同棲している親友に恋人ができました

私はうつ病を患った友人と同居生活を送っているアラサーの会社員です。
友人との関係や日常について、「#日記」のタグで備忘録や頭の整理を目的にnoteを書いています。

日記は久しぶりの投稿になります。
私はありがたいことに日々充実した毎日を送っています。
友人は人と話すことが大好きでその中で日常の充足感を得ているところがある、という風に前の投稿でも書き記しました。

友人に恋人ができました。
これまで2年ほど遠距離ながらもずっとアプローチをしてくれていた男性だそうです。
確かに、一緒に住み始める前にその人の話は少しだけ聞きました。
その後も、SNSでのやり取りをゆるく続けていたようです。
最近の友人といえば、前に入れ込んでいた想い人への興味が薄れてから多少の時間が経ち、毎日仕事ばかりを繰り返して少し疲れと退屈を感じているように見えていたところです。
そこに彼の猛アプローチが効いたのかもしれません。

過去、私は友人の歴代恋人に対してあまり良い印象を持っていませんでした。
彼らに共通して言える素晴らしい点は、「心ゆくまで友人の話に付き合ってくれて、その内容にうんうんと肯定してくれる人であること」です。
それは友人にとって「生きるのを支える」ほどの重要さがあります。

でも、良い印象を持てなかったのは大体ダメ男と呼ばれる人だったからでした。
「定職に就いていること」、「自立した生活をしていること」、「家族など身辺に大きすぎる不安要素がないこと」、それらは私にとってはあまり難しくない条件だと思っていました。ですが違ったようです。
優しく見えた友人の恋人は、実のところ無責任なだけだった、と見える悲しい結果を辿ってきました。
その度に傷ついたり、憤慨する友人の姿を側で見てきました。

ですが、最近は流石に友人も相手のことをタダでは信用しないようにしているみたいです。
失恋したとしても、「なんかダメな気がしてた」とケロッとしていることもあります。

今回はどうなんでしょうか?
今までの人だって、友人のことを大切に想っていただろうと思います。
でも、それだけではダメなのでしょう。
「想う」だけでなく、大切に「できる」人と結ばれて欲しいです。

自分の未熟さや孤独を埋めるために互いを求めあうのでは、その先には依存しか見えない気がします。
人を大切にするのって、まず自分がちゃんとしていないとダメな気がするのです。
もちろん誰にだって欠点はあるし、それぞれが抱えている背景は異なります。
でも、それを大切に想っている人に負担してもらおうというような甘えがあるようでは幸せにはなれないと思います。

こんなに語っていて、私自身は恋愛には縁が無いのですが。
はぁ、将来友人の結婚式で感涙を流したいな。
素敵な人と結ばれて欲しいです。友人は素敵な人だから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?