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愛なのか、エゴなのか

人生においてこんなにも誰かに導いてほしいと思ったことないです。

私は今、私の人生において最大の問題にぶち当たっているのかもしれません。
言語化することで整理しようと考えているのですが、読みにくい文章になることはお許しください。

私は現在、一人暮らしのワンルームに幼い頃からの友人を招いて2人で暮らしています。
友人を招いた理由は、家族と縁を切った彼女が心の病にかかり、精神的、肉体的、経済的にも危ない状態にあったからです。
彼女は親とは過去に絶縁しており、それ以来、家族から得られなかった愛情を求めています。
このように称するのは彼女の意にそぐわないかもしれないですが、悪い男にひっかかって傷ついていることもしばしばありましたが、その度に自分を鼓舞してまた立ち上がり、前へ進んできました。

彼女は強い人に見えます。数々の逆境に立ち向かって前を向いて生きてきた人、違いないと思います。

しかし彼女は倒れました。
職場での問題がきっかけに体調を崩し、食事もろくにとれない状態になりました。今まで彼女が背負い、耐えてきたあらゆるものが、一気に彼女の心を押し潰しました。私たち誰もが持ち合わせているように、彼女にも弱さがあったのです。

彼女が病に倒れて辛い状況にある時、私はそのことにしばらく気が付きませんでした。私は就職を機に実家を出て遠方で一人暮らしをしており、彼女とは頻繫に会って話をすることもなかったのが大きな原因のひとつでしょう。
私がようやく彼女の病のことに気が付いたとき、先に述べた通り、彼女は既に限界を迎えていました。

私と彼女は幼い頃からの友人で、かつて一緒に暮らすことを夢見た仲でもありました。私は彼女が死ぬなどということは耐えられませんでした。彼女が死ぬことに問題の答えを見出そうとしていても、ただただ生きているのがつらいという状況であっても、それでも生きていてほしいと願いました。

状況が少しでも好転すればと、経済的な支援をしたり、決着がついていない職場の人との話し合いの受け答えを一緒に考えたり、ただひたすらに話を聞いたりしました。
その中で、彼女に必要なのはそばにいてくれる人だと感じました。彼女は少なくとも駆け付けた私の目の前で死のうとすることはありませんでした。一人でいるとずっとネガティブな考えが頭から消えないと話すのを聞いて、彼女が少しでも別のことを考えられるようになってほしいと考えました。

彼女は友人が多く、深い絆のある人も数人いました。しばらくの間、その人たちとともに彼女を支えよう、見守ろうと支援をしながら過ごしていました。しかし、心と体の回復を待つ前に、経済面が限界を迎えてしまいました。彼女の貯金は底をつき、私の支援だけでは食事もとれなくなってしまいました。

その時に私は決意の末、二つの案を彼女に提示しました。
「縁の切れていない祖母の家に身を寄せる」か、「私の家にくる」か、です。

彼女は両親と縁を切る少し前から一人暮らしをするまで、祖母の家に身を寄せていました。ですが、複雑な問題は絶えなかったそうです。彼女にとって一生許しがたい親でも、祖母にとっては愛しいわが子に変わりないからです。祖母はこれまでの彼女の処遇に責任を感じていたようですが、老いもあり、彼女の前で両親の話をしてしまうことが多かったそうです。彼女はそれが絶えられいと言っていました。それらが一人暮らしへの強い後押しとなっていたのだとおもいます。

彼女がここまで困窮するほどになったことには、家族の問題が大きく関わっていました。両親はどうしても頼れない、祖母のところに身を寄せても心が回復すると思えない、そういった理由から彼女は私の家にくることを選びました。

私は真剣に考えて思案した末に「家においで」と言いました。気の置けない仲である私との生活の中であれば彼女も少しでも多く心の治療に専念できるのではないかと。ワンルームは狭いが、彼女にとって何の思い出もない場所だからこそ一からやり直そうと思えるのではないかと。私にはそれを受け止められると。

軽率で驕った考えだったのかもしれません。
私が彼女にしたことは間違っていたんじゃないかといつも不安です。
所詮、他人である私が彼女の人生に救いの手を差し伸べるようなことをするなど、身に余るエゴでしかなかったのではないかと思うと彼女に対して罪悪感が芽生えてきます。

そう考えるようになったのは、彼女の様態が少しずつ良くなってきたからだと思います。

この部屋はやはり二人住むには狭すぎるので、ゆくゆく引っ越ししたいと考えています。彼女もそれに賛同してくれ、アルバイトを探して働きはじめました。現在、食費と住居にかかる費用は私が払っているので、彼女にはアルバイトで得た費用でそれ以外の自分の費用を払うことと、貯金をすることをお願いしています。しかし、彼女が今後も自分の人生を生きていくためにはアルバイトのお金だけでは当然足りません。これまでサービス業のアルバイトしか経験していなかったため、30歳までになんでもいいから社員になってみてはどうかと提案しました。正社員でもなくてもいい、契約でもいいので、アルバイトより給料の良い安定した雇用を受けてほしいと伝えると、それも納得し、前向きに考えてくれています。

そのうちに、最近、私の考えが少しずつ変わっていることに気が付きました。彼女が一番つらかった時期は、生きてさえいてくれればいい、時間はかかってもいいから良くなってほしいと思っていました。ですが、今は「少しでも早く、良くなってほしい」と考えているのです。

彼女は確実に以前より問題に向き合っています。私の生活を案じる気持ちも彼女の動機になっていることと思います。私が恐れていることは、彼女ができる以上に私が求めることです。

聖人でも裕福でもないただの一人でしかない私が、身に余るエゴで彼女に重大な決断をさせ、さらに再教育するかのように人生を操ろうとしている、それが私のしたかったことなのでしょうか。

彼女を助けたいと思った気持ちは汚れていたのでしょうか。


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