自分史【パーソナリティ編】
私は、コウイウ人です!
実績は、コレグライあります!
こうやって、インターネット上でもそうでなくても、自己紹介できる人がうらやましくなる。見聞きするたびに自分の何もなさが虚しく、苦しい気持ちになる。ね、なりませんか?
はたして、本当になんにもないのかを検証するため、自分の棚卸しもかねて時間を巻き戻してみました。
・ハロー、幼少期
自分が思い出せる家族との記憶の中で、なにも考えずに子供でいられたのは幼稚園ごろまで。
ちなみにそのころ好きだった人はヴィジュアル系バンド、SHAZNAのIZAM。同じ赤髪に染めてもらい紫色の口紅(サイン入り)を塗り、母とライブに行っていた。好きになったきっかけは全く覚えてない。
小学生のときに親が離婚して母・兄・弟・犬と暮らすようになる。
母は働きづめだったので、平日に会えるのは夜の仕事へ行くまでの間だった。兄は漫画みたいにグレていき、家と警察がたまり場になる。弟はまだ小さかったので私は小さなお母ちゃん係。
学校では「転校生で片親」というレッテルを張られている気がしたので、とにかくひたすら、笑っていたような。元々、体が細いのもあり「栄養失調」とか「片親やから遊んだらあかん」とか言われて。傷ついても、とりあえず笑ってたのでナメられてたんだろう。
学校から逃げるように帰れば、兄に暴力と恐怖で支配され、母は愚痴を吐き散らかし酔っ払って泣きわめいたり外で寝てるのを連れて帰ったり。弟とはしょっちゅう朝方の誰もいない公園で遊んでた。
兄が母の首を絞めることもしょっちゅうの家庭崩壊寸前の家。自分は結婚なんかしない、子供もいらない、と結婚や家族に対して拒絶反応を起こした頃であった。
・ごりごりの思春期〜成人するまで
ある日クラス全員に無視られる、というありがちな経験をする中学時代。トイレに駆け込んで大泣きし、そこからトイレでお弁当を食べるように。
自分も悪かったんだろうけど、”友達”というものが信用ならないことをすぐ学んだ。ありがとう笑
しばらくすると朝起きられなくなり、「あんたが悪いんやろ!」と母には怒鳴られる。が、意地でも布団から出なかった。ときどき昼休みから登校したり公園で時間をつぶしたり、生きるのがつまらなかった。けど、死ぬのもめんどくさかったおかげで、中学三年のクラス替えがやってきて、クラスメートに恵まれたことで通えるようになる。
援交してるという根も葉もない噂を流されて、アホすぎて笑うしかないぜ。
中学を卒業した春休みに、当時流行っていた出会い系サイトで初めての彼氏ができる。これがとんでもない男でざっくり言えば、偽名・ギャンブラー・働かない・DV・浮気の五拍子そろったダメンズ。
心身とお金を消耗しまくり、依存の怖さを学んだ三年間であった。
人生とは学ぶことである。
なんとか断ち切ったあとは寂しさから、出会い系サイトや夜の世界にぬるぬると浸かっていく。夜についてはこちらに軽く書いたのでよろしければ。
・検証のほどは?
これだけつらつらと書けたので何にもないことはなかったようだ。記憶が残っている頃から成人を迎えるまで、ここが全てだと思い込んでいた、私の世界。
次回は、20代前半について書いていこう。
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