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意識と無意識を行ったり来たり

決められた砂箱の中に自分の感覚のまま、好きなミニチュアを置いていく心理療法のことを、箱庭療法という。

今回はその講習会に行き、自分でも体験をしてきた。


一回目はグループ置き、といって数人でひとつずつ好きなものを置いていく方法。
一番目の人が大枠を作っていく。
実際にやってみると、自分を含めてめっちゃ性質が出やすいなあ、と思った。
前の人が選んだもの、雰囲気に合わせてみたり、好きなものを選んでいるけども、邪魔にならないようにサイズが小さかったり被らないように置いていたり。
はたまた、なんにも気にせずに自分が置きたいものをドーン!と持ってきたり。

初めて会った人たちだけども、言語化出来ないイメージの世界を箱庭で表現していくものなので、選び方や置き方でなんとなく人となりが見えてくるのが興味深い。もちろん、決めつけるわけではないが。

講師の話でおもしろかったのが、グループ置きではふたつに分かれると言っていて、
・人が置いたものにいかに寄り添うか
・置かれたものに何か不快感を抱いたら攻撃的になるか

というもの。

真ん中ってむずかしいのだなあとつくづく感じた。



そして、二回目はひとりで置いていく。

この療法はカウンセラーが見守りに徹する(声掛けしない)ので、作ってる間じっくり見られているんだけど、それがまあ落ち着かない。
私が、誰かに見られながら何かをするという行為がめっちゃくちゃに苦手だからかもしれないが、途中までみんなの視線に引っ張られていた笑
後半はあんまり気にせずに出来たと思うけど、全体的に無意識ではなくかなり意識が出ていた気がする。
ほんとは置きたかったものを、なんだか意識して置かなかったような。
これは、それを置くことで何か見られたり開いたりするのを嫌がっているのかしら?ね。
今は自分でもよくわかんないけど。

グループの時よりも内側がより立体的に見えてくるもので、これがまた興味深くておもしろかった。
その人が大切にしているものがうっすら浮かんできたり、あるミニチュアを置くことでスッキリした気持ちになったと話していたり。
こうして箱庭に投影していくことで、自分の立ち位置や価値観、今迷っていることが浮かび上がってきたりするんだな、と。
イメージの世界なので、必ずしも何もかもが分かるわけではないのは大前提にあるんだけども。

箱庭療法を受けなくとも、文章や絵を描いたり、音楽、踊り、インテリアなどなど、自分を表現する場所はいくつもある。
選ぶものひとつとってもそう。

自分が選んでいるものには(無意識で)意味が隠されている
……かもしれないと思うと、改めて雑にしたくない気持ちになったので忘れないように書いておく。


記録📷

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