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内容のない喋り上手が苦手だ

私の今までの人生の反省点の一つは、考えることに時間をさきすぎて自分の意見をきちんと言語化してこなかったこと。だから今だに人前で自分の意見を整理して喋るのが苦手である。自覚した以上は、今からでも場数を踏んで訓練していくしかない。

そもそもなぜ考えることにそこまで時間をさいていたかというと、常に本質を見失いたくなかったからだ。

私がこの世でもっとも苦手なことの一つが、内容がないのに表面的に取り繕うことである。たとえば、どうってことない商品をブランディングの力で輝かせ、あたかも素晴らしい商品であるかのようにアピールし販売する。もちろん本当に価値のないものは淘汰されていく経済システムではあるとは思うが、内容よりも取り繕うことに時間が割かれていることも多い気がしてどうも気に食わない。

そんな状況が蔓延すると、表面的な世界に生きている気がして私にとっては生き心地が悪い。ゆえに私は流行りにまるで興味がない。自分が本当に価値があると思うものやことを、自分自身でしっかり見極めて選択したい。

商品を例に挙げたが、言葉も同様である。つまりそこまで考えていないことを、言葉のテクニックであたかも正当であるかのように思わせる。私は「内容のない喋り上手」が一番苦手な人種かもしれない。なぜなら人を不幸せな道へ誘導しうる悪なるパワーを秘めているからである。

そうはいっても他者を巻き込み、自分の目標を達成する上で、見せ方や発信力は非常に重要なポイントであることも理解している。しかし内容や情熱が何より大事であるということを私は主張したい。ただかっこいいだけの世界で私は生きたくない。なぜかっこいいのかを各々がしっかり考え、その価値を本当の意味で共有できる世界で私は生きたい。

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