ステレオタイプについて

ステレオタイプや固定概念、偏見について考えたことはあるだろうか。


私は専門上、それらをよく考える(というか嫌でも考えなければならない)。こういうことをしていると、ステレオタイプなどというものは思ったより自分の中に酷くこびりついているものだということに気がつく。今日はその事についてダラダラかこうと思う。例のごとく、今から述べるのは私の考えなだけなので、お手柔らかに見てほしい。



さて、果たして人間の中で、胸を張って絶対に私は全ての人に対してまっさらな気持ちでなんの偏見もなく見れます、なんて言える人は居るのであろうか。ちなみに私はそんなことを言う人がいたら、逆にこの人自分の偏見に気づいてないタイプのめちゃめちゃ偏見でしか物を見ないやべえやつなのでは、なんていう偏見をかますと思う。
偏見のゲシュタルト崩壊みたいになってきたが、兎も角、何が言いたいかと言うと、人間誰しも偏見やステレオタイプ、持ってるよねって話である。



いちばん簡単な例は性別であろう。ストの話でも挙げたが、日本の文化背景を辿るに、男尊女卑的な形がルーツにあることは言わずもがな有名なお話。男女両方に偏見を持たれやすく持ちやすい。

「パートナーが稼いでくれてて、家で私は家事や子育てをしています。あ、お財布の管理は私でパートナーにお小遣い渡しています。」

これ、話し手の性別で結構捉えられ方が変わる(私や今読んでいる皆さんがそう思うかは置いといて、一般的に)。女性が話し手だと、旦那さんいい人だな、奥さんはきっちりおうちのことしてていい夫婦だな〜、なんて思う人が多いだろうし、かたや男性が話し手だと、いやお前も働けや、働いてないのに財布持ってるってどういうことだよ、なーんて思う人が多い。というかそもそもこのパートナー、普通は話し手の異性と考えるだろうし。パートナーなだけで同性だってことも充分有り得るわけだ。



とまぁここまで私たちが意外とステレオタイプを持っていることを性別の例を挙げて説明した。だが、私は別にそれを無くせ、やめろ、と言いたいのではない。私だってめちゃめちゃ偏見で人見てるし。

私が伝えたいのは、
"自分が偏見を持っていること、自分の持っているステレオタイプに気づいておくこと"
が大切なのではないか、ということである。


先程の例に戻ってみよう。私がもしあの偏見をしっかり持ち合わせていて、なおかつその偏見に気づいていない、とする。女性の場合は、いい人と出会ったね〜なんて言うだろう。男性の場合は、搾取と感じてDVまで疑うかもしれない。もちろん文化背景的に、男性が主夫になるということがまだまだ少ないことなど、ほかの要因も絡んでくるとはいえ、あの言葉だけであらぬ心配や見逃しをしてしまう可能性は充分に有り得てしまうのである。


ほかの例も挙げてみよう。ストリップに行く女性は、みんな脱ぎたがっている、エロい、こんな偏見を持つ人がいるとする。これを偏見であると気づいていない、つまり、自分がこう考えやすい、ということを知らない場合、そのような人は私たちのようなストリップ女子を辟易し、嫌がるだろう。いらない期待を抱いてくる輩もいるやもしれない。逆に、女の子側としては、勘違いされるのが嫌だという気持ちがあってあまり自分の趣味について話さない子も多くいると思う。



何度も言うが、偏見やステレオタイプを持つことが悪いのではない。むしろ健全であるが、それが真実だ、と信じて疑わないことがまずいと思う。



偏見やステレオタイプに気づかないことのデメリットを述べた。では、自分の偏見やステレオタイプに気づいておくと、どのようなメリットがあるだろうか。



自分がこう考えやすい、ということが分かっていると、その人に知らないうちに自分がかけてしまっているフィルターを外す作業ができ、その人をできるだけ本物に近く見ることが出来る。先程の男女の偏見にこの、偏見の傾向の知識を入れてみよう。私はこう思っているが、私は男尊女卑的な考え方をしやすいわけだから、このカップルの内情は詳しく聞かないと分からないな、となる訳だ。従って、決めつけ、やそれに伴う勝手な心配をする前に、情報を手に入れようとする。そうすると、その人のことがもっとよく分かるのである。


ちなみに、自分の傾向と、世間一般の傾向の両方を俯瞰的に見ておくとかなり役に立つと思う。私はこう思いがちだけどこうじゃないかも、でも世間からはこう思われてこの人肩身は狭いかもしれないな、という考えができるようになる。


以上、ダラダラとステレオタイプや偏見について述べた。人間、カテゴライズすると生きやすいものだから、どうしても私たちはその人の傾向を掴むために、偏見やステレオタイプに当てはめる。でも自分に置き換えると、そんなもんで括って欲しくない、なんて言うわがままも出てしまう。上に述べた偏見の自覚、というのは実は楽じゃないし、自分ってこんな偏見持ってるのか、なんて落胆したりすることもある。でも私は、その人を本当に見つめる、真実をしっかり見ることの対価として、その苦労があってもいいと思う。自分も集団の1人、みたいには見られたくないし、人のこともしっかり個人として見ていきたい。


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