浅田真央ちゃんの名の二つの「源」、その命名に込められた「願い」について


2024/03/19

2011年に出たDVD『浅田真央 20歳になった氷上の妖精』はフジテレビの著作であるが、ある重要な情報を含んでおり、それが決定的な意味をもつと私は考えている。初めてそれを見た時から、そう思ってきた。それは、真央ちゃんの命名の由来、その名前に込められた願いについてである。

すなわち、DVDの本編動画の6分9秒あたりから、「浅田舞」によるナレーションで、〈両親は、「真実を見つめ、そして、たくさんの人の輪の中で可愛がってもらえるように」と、願いを込め、真央と名づけました。〉と語られている。

「浅田真央」の名が「大地真央」に由来する、という話はよく知られている。それは確からしい。Wikipediaにも書かれている。しかし、その命名に込められた「真実を見つめ、そして、たくさんの人の輪の中で可愛がってもらえるように」という願いについては書かれておらず、広く知られていない。

つまり、「浅田真央」の命名の由来、真央ちゃんの名前の「源」は、客観的に二つ存在する。しかし、片方だけが広く知られ、他方の「本来的な願い」の方は忘れられたようになっている。これが事実である。そして、このことに何か根深い問題があるという気が私にはずっとしてきた。「嫌な感じ」さえする。

二つの「源」が存在するにもかかわらず、片方だけが「使われ」、他方は無視される。このパターンが真央ちゃんの歴史において繰り返されてきた。それをわれわれは見てきた。それが一貫して「浅田真央の管理体制」の体質であり、弱点であり、そこからあの「罪」や「悪」が生まれてきたと、私は確信する。

2024/03/20

もう一つの重要な事実は、真央ちゃんについての伝記的著作である『浅田真央 さらなる高みへ』(2011年)に、真央ちゃんの名の由来について何も書かれていないことである。この本では真央ちゃんの誕生、幼少期から、2010年のオリンピック後の佐藤信夫コーチへの師事の始まりまでを扱っている。

すなわち、〈真央の姉に「舞」と名づけたのも、京都祇園祭の日に生まれたことともう一つ、母のバレエ好きに由来している。〉(16頁)と書かれているのに、肝心の真央ちゃんの名の由来についてはなぜか書かれていない。このアンバランス、この欠如から、無視できない「におい」が漂っていると感じる。

事実を整理する。

  • 本『浅田真央 さらなる高みへ』の発行日は2011年2月25日である。真央ちゃんの名の由来について何も書かれていない。

  • DVD『浅田真央 20歳になった氷上の妖精』の発売日は2011年3月16日である。真央ちゃんの命名に込められた「願い」について語られている。

本とDVDの発売はほぼ同時であったから、本の著者(吉田順)は、真央ちゃんの命名に込められた「願い」についての情報をそもそも提供されていなかった、という可能性が考えられる。

しかしやはり、姉の名の由来については書きながら、真央ちゃんの名の由来については何も書かない、という形をとることにより、著者はまさに何かを匂わせたかったはずである。この奇妙な不均衡の背後に働いているであろう人間の意思の存在に、読者が特別な注意を向けるように、という期待が隠れている。

これらの「材料」が私のところに揃ったとき、これらの事実の総合からすぐに直観されたのは、まさに「真実を見つめ」というのが「業界」にとって都合が悪いからだろう、ということであった。

また実際、2015年の競技への復帰の頃からの真央ちゃんの様子を見るにつけて、「真実を見つめ」というのが真央ちゃん自身にとっても「負いきれない」ものとなっているような気がし始めた。その「真」の部分を運ぶには誰かの助けが要る。こういう思いでもって今まで真央ちゃんの状況を私は見てきた。

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