「リブロック」について

私の幼年期における主な遊び道具として「リブロック」があった。文字通りブロックのおもちゃである。アルファベットの「H」のような、その「間の線」が2本になったような形のブロックが基本的な要素であり、他に棒状の「シャフト」と呼ばれるものと、車輪の形状のものがあった。

有名な「レゴブロック」はうちにはなかった。幼稚園期や小学校時代に、同級生たちの家にそれが存在するのをよく見かけたが、「リブロック」が他の家にあるのを見たことは一度もなかった。それだから、「レゴ」に比べて「リブロック」がはるかに「マイナー」であるという体感が確かにある。

友人の家で「レゴ」を見ても、特にそれが欲しいと思ったことはなかった、と思う。全く欲しくないというわけでもなかったが、それを親にねだったことは一度もなかった。ブロックに関しては「リブロック」で基本的に満足していた。

友人の家で時々「レゴ」で遊ぶことがあっても、それに夢中になることはなかった。私も多くの友人たちも、主な興味は「テレビゲーム」にあった。それだから、レゴブロックを組み立てる感覚は、私の身体に深く染み付いてはいない。「レゴ」は「よそのもの」だという感覚が私にはある。

私の家にあった「リブロック」は、おそらく誰かの「お下がり」で、他の家から親か祖父母が譲り受けたものだったろうと推測される。それがどこから来たのかを私は誰にも尋ねたことはなかったし、特にその「由来」に関心もなかった。

ただし、その玩具を「リブロック」と呼んだことは文字通り一度もなかった。「ブロックのおもちゃ」のように言っていた。うちの家族がそうであったから、私もそうであった。

そういうわけで、「リブロック」という名称を少年期の私は記憶していなかった。それは私が「大人」になってから、ある時、2008年頃にインターネットで何かの機会にたまたま「知った」のであった。

その時にこの2つの画像をGoogle検索で見つけたのだった(そして保存した)。つまり、これらは「私の画像」ではない、と断っておかねばならない。

この画像を見つけた瞬間に、「これがうちにあった!」という懐かしさで興奮したことを覚えている。

現在、これらの画像でGoogleの画像検索をしても、ちょうど同じ画像は見つからないから、もう元のサイトは消えてしまったのであろう。

私の家に確かにあったはずのこの本の表紙に、確かに「たのしいリブロック」と書かれているのに、その文字が私の目には全く入っていなかったようである。

新しいリブロックが「補給」されたことは一度もなかった。「お下がり」で譲り受けた分だけで「やりくり」する必要があった。しばしばブロックの数と種類が足りないために、「本」に載っているアイテムを作りたいと思っても、作り始める前に断念せざるを得なかった。

それで当然、ブロックやシャフトや車輪が不足していることに私は不満を感じていた。それでも、なぜか新しいブロックを親にねだったことはなかった。ブロックの不足を訴えたり、「買ってほしい」と親に言ったことは、なぜかなかった。

「レゴブロック」がどこのおもちゃ屋でも売っているのと異なり、「リブロック」が店にあるのを一度も見たことがなかったから、それは「売ってない」ものだと思い込んでしまったのである。

それが「所与の条件」であり、与えられた「それ」だけでやるしかない、という意識が確かに幼年期や少年期の私を支配していた。現在の私と異なり、「元々」私はそのような子どもだったのである。

いや、今も私のその根本的な性質は残っている。

そもそも「私のところ」にある「資源」が少ないために、やりたいことをやり始める前に断念してしまう、という習性が、この経験を通して身についてしまった(あるいは生来のものが強化された)のかもしれない。

「本に載っていないもの」を自分で「創作」したいと思ったことは、私の記憶するかぎり、一度もなかった。

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