つまり、天野喜孝の描く輪郭は実際には「閉じられていない」のに、それを「閉じたもの」としてしか認識できず、「本来のもの」を再現できない人々ばかりになってしまった。それもやはり「受け取る側」の能力や技術の問題なのに、全て「元の絵のせい」にされ、「それを描く人」が嫌われるようになった。

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