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私にとって

3月から、こっちだいぶ疲れが溜まっていたのか、GW前から頭が全く動かない感じがありまして。
2週間ほど、思考停止しながらぼんやり物事をこなす日々を送っていました。
脳みその処理スピードがめちゃくちゃに落ちている。
おかげでだいぶ吃音の症状が出たり。ね。
お会いした方は普段以上に喋れない私を見たことでしょう。
すまねぇ、自覚はしている。

そんな中、再開した性癖マッチンで久しぶりに初めましてを何回かしたんですよ。
会話を重ねる時間をいただけてありがたい限りなんですが、実際にお会いしてみて肌を重ねて、ちょっと思うところがありました。

それに関して、まとまらないながらちょっとだけ書いておこうと思います。


1月に今年の抱負に書きました。

>いいセックスをいっぱいする
これなんですけど、自分にとってのいいセックスってなんだろうなって考えてたんですよ。
正直、めちゃくちゃ漠然とした内容なのでね。

そもそも、私にとってセックスって何?

これについての解が出たんですが、私にとってのセックスって音楽のセッションみたいな感じのようです。もしくは武道の演武のような。

私はどうもノンバーバルなやり取り、コミュニケーションの方が本来は好きなんですね。

言葉にすると、こねくり回して最適な形を探ってしまう。
人間は感じたことを言葉にするとき、一度自分の持っている枠組みに嵌め込んで咀嚼する。
それは時にはっきりとした形をもたらし、時に窮屈さで本心を覆い隠す。
とても不自由ですよ、言葉って。感じたことの半分も的確に表現できている気がしない。
特に私は、考えるのに人よりちょっと時間がかかるので、そういう意味でももどかしい。喋るの、とても苦手です。

相手の呼吸やリズムに合わせて、自分も何かアクションをする。
受け身だけじゃなくて、受け止めて返す。
そういう一連の流れが途切れずに渦を巻いて、自分もお相手の方も引き込んでいく。
その中で受け止めた、受け止めてもらえたという両方の感覚を感じた時、なんとなく充足感がありますね。


その中でね、たまーにお相手の暴力性や嗜虐性が顔を覗かせる瞬間、言い知れぬ満足感を感じるんです。
理性の箍が外れるとき、人は本能に忠実な姿を垣間見せるんですよ。
たぶんそれは私も同じなので人のことは言えない。

私はどちらかというと、お相手の暴力性や嗜虐性を見たいタイプです。それの発散に私を使ってもらいたいというか。
Mではないけど、そういうものに従わされたいサブミッシブなので、この部分は譲れないところではあります。
性癖が合うってのはこういうところ。

また、悪癖だと自覚しているのですが、私は人間の仮面の内側を見たいという強い欲求があります。
結果的に己が傷ついたとしても、理性や倫理観をはぎ取って、本能やむき出しの感情に流される人の顔を見たい。
そのせいで無用な煽りで相手の感情を傷つけにいってしまうこともあったのよ、最近は気づいてしないようになったけど。それは私の暴力性の一部。
…実に趣味が悪いね。


セッションするにも得意とするリズムやジャンルがある。
それが性癖なのかなと思います。
私はどちらかというと激しめが好き。長く続く相手もそういう方が多い。
でも大前提としてコミュニケーションが取れていなかったらそれはお断りすることになる。なりました。

どちらもってなるとやっぱり難しいね。


ついでに余談。
今後の予定で複数でのプレイがありそうでわくわくしています。
ただ、これ結構難しいなと思ってるんですよ、いろんな所への目配せがかなり大事。全員とセッションしているようなものなので。
音楽に例えるなら、オーケストラに参加するみたいなもの。
上手い下手というよりも、全員が合わせるつもりで意識が向いていないとそもそも上手くいかないんじゃないかなと。
向かせるというのも手ですがね。それは指揮者の腕の見せどころ。
この辺りも話ができるときがあればその時に。