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「私」の輪郭

※今回はジェンダーやセクシュアリティの話です。あとめちゃ長くなった。
 苦手な方や嫌悪感がある方は無理せずお戻りくださいまし。

突然ですが、どうも私はマイノリティのようです。
多少の自覚はありましたが、ジェンダー的にもセクシュアリティ的にもあまりマジョリティ側の枠内ではないらしいということです。

かつて、裏垢を始めたころにセクシュアリティ診断を受けてみたことがあるのですが、結果は以下の通り。

だいたい自分自身に対する認識とは大きく外れていないので、おおむねこの通りなのだろうなと思います。今はいろんな言葉があるから、こういう見方もあるのかって知れることがいいですね。

中学生ぐらいの時は自分がよく分からなくて、分からないもどかしさとそれでも向き合わざるを得ない焦り、社会で求められる振る舞いとの食い違いに自分に対する嫌悪感がありました。

高校生のころには自分のしたい振る舞いをするようになって、親も呆れか諦めかという顔をしていて。
まぁ、ずいぶんと好きにさせていただきました。
理解してくれていたのかはいまだに謎ですが、それでも拒絶も否定もせずに私を受け入れてくれていた両親には非常に感謝しています。

で、本題。
この診断を今になって見返して、「あぁそういうことか」と気づくことが非常に多かったのです。自分のことを理解するにあたって、最近は感覚だけではどうしようもないと感じていました。
本来、私は感覚で受け取る派なのですが、面倒でも言葉で規定していくことで見えるものがある。

今回は私のセクシュアリティについて思うところを書いておこうと思います。

こころの性は「Xジェンダー」

私は自分を「女性」、「男性」と表現することには違和感があります。
完全にXジェンダーだと思います。
ただ、診断結果にある「両性」についてはちょっと疑問があるところです。

私自身は「振る舞う性」という表現がぴったりくるのですが、その時一緒にいる相手が無意識にでも求める性を演じてしまうんですね。
というより、他者と一緒にいると相手が求める「役割」を演じてしまう性質があります。場の空気や自分の立ち位置を読み取って、文字通りの「ペルソナ」を被る癖がついているせいです。
これのあとに書く「ノンバイナリー」にも近いと思いますが、それに合わせて根っこから変わる感じ。どちらでもよいという感じです。

「ペルソナ」を外した自分はどんなものか、自分でもわかっていません。
確実に言えることは、そこに性別に対する意識は存在するがその時の気持ちのありようによって変化する、ということです。どちらでもあってどちらでもない。その割合は非常にあやふや。

以上をまとめると、「両性」というよりは「不定性」かなと自分では思っています。
※「ジェンダー・フルイド」という表現もあるんですね、これが一番しっくりくるような気がします。

ふるまう性は「ノンバイナリー」

私は「女の子っぽくしなさい」と言われることが嫌でした。また、男性的に見られたいのかと言われたらそうでもないということも経験しています。
ただ「一人の人間」として生きていたいと思っています。

私は普段着ではスカートを履きません。
学生時代は制服がスカートであることがとても嫌で、その反動か普段着は完全に男性装でした。女にしては体格がいい方なので、細身のメンズ服が普通にフィットするんですよ。この体格でよかった。
では男性になりたいのかと言ったら、実はそうでもなさそうと気づいたのは大学生になる前くらい。
今はユニセックス系の服が多いです。パンツスタイルオンリー。
化粧も普段はほぼしません。眉すら書かなくていいようにしています。

口調や振る舞いは、今は中性的になっています。昔は男の子ってよく言われました。成人するころに、人としての品位を失わぬようにと考えた結果が今です。
なお、一人称は違和感なく「私」、「僕」、「俺」、どれも普通に使います。人と接するときは「私」が大半ですけど、たまに「僕」って言ってしまうし、独り言の時はよく「俺」って表現しています。
その時の気持ちのありようで変化しているんですけど、これも不定性っぽいですね。

なお、求められる「役割」があればどんな服装もします。
コスプレもしますし、ヒールも履きます。かつては友人に求められてCECIL McBEEでお揃いにしていたこともあります。
しかしこれは、「役割」を演じるぞという意識を持って身に着けるので、「ペルソナ」を被ることと同義です。自然体ではない。

私が裏垢的な出会いでヒールを履いているときは、必要だから「役割」を演じているときです。だから、ちょっと窮屈なんですよね。
「役割を演じる」ことは演劇に参加しているようで楽しい。ただの村人Aである私が、お姫様にも王子様にも、王様や女王様、神様にだってなれる。
でもずっとはさすがに辛いのです。
裏垢では深いところまで向き合ってくれる人にまだ出会っていないので、上滑りする関係性に辟易する気持ちもあります。

性的指向は「パンセクシュアル」

私は好きになる相手の性別は気にしていません。
ここは「Xジェンダー」であるからというよりは、「ノンバイナリー」だからかなと思います。
「一人の人間」として誰かを好きになるということ、それだけです。

高校時代は好きな人がいました。それはとても聡明な女性でした。
いまだに残る、甘いキスの記憶。
寒い屋上手前の踊り場で、暑い夏の朝にお泊りした彼女の部屋で。
手をつないで、抱きしめあって、ここにいるんだよってお互いを確かめ合うような。長い黒髪に顔を埋めて、ふんわり香る甘い匂いが柔らかかった。
今から考えればとても拙く幼い自分が、彼女に何か残せたんだろうか。
最後は己の不甲斐なさ故に離れたのですが、きっととても傷つけたんだろうと思っています。

私にとって、一番心に残る恋愛はこれです。
あの時ほど穏やかで優しく人を想ったことはない。
ただ、「一人の人間」として彼女を好きになった。
彼女も「一人の人間」として私を受け入れてくれた。
あの記憶があるから、今の私があるんだと思います。

恋愛指向は「サピオセクシュアル」

ずいぶん診断結果がかぶっているところが多いので、とりあえず「サピオセクシュアル」とまとめました。
私は知的な人、特に己の思想の背骨を感じさせる人が好きです。

裏垢での出会いで、相手の雰囲気でも写真が欲しいと仰る方が結構いるように思いますが、私は必要だと思ったことが全くありません。自分から求めたことはない。送ってくれと言われて送ることはありますけど、相手の写真見てもなぁという感じ。
顔立ちや体型は大して重視していません。
それよりも実際にやり取りしてみて、相手の思想や考え方、文章の書き方や物事のとらえ方に触れたとき、「あぁ、この人は素敵だな」と思えることの方が私にとっては重要です。

裏垢では自身を作っている人も多いと思いますが、それを一貫して演じることはきちんと計算しなければできないことだと思います。これができる人はすごいという感想を持つのは、私自身が「ペルソナ」を被る生き方をしているからでしょうか。

誰しもが持つ自分をきちんと整理して、見せられる人は素敵だと思います。
私はそんな人を好きになるし、そんな人間になりたいと思う。
「サピオセクシュアル」は私の指針の一つだなと思います。

もう一つの恋愛指向「クワセクシュアル」

最後にこれが出てきたとき、私の中では「なるほどねー!!」って気持ちでした。こういう概念、あるんだねって感じです。

「自分が他者にいだく好意が恋愛感情か否か、また自分が他者に感じる魅力が性的魅力か否か判断できない/しないセクシュアリティ」

クワ(クォイ)セクシュアルとは?【恋愛と友情の違いがわからない!】

私の場合、いいなと思った相手とは大体セックスまで想定します、たとえどのような出会いであったとしても。「サピオセクシュアル」なので、魅力のキーポイントは顔じゃなくて知性とか雰囲気なんですけど。
恐らく、私以外の人の好意はいろんなベクトルがあるんだと思います。
しかし、どうも私には一本のベクトルしかなくて、そのベクトルのどこに位置するか、という感覚しかないんですね。
私にとっては好意は一本のベクトル上にしかないのが普通の感覚なので、好意に種類があるっていうことは頭では認識している程度です。

何をもって普通というかは本当に難しいと思います。
ただ、どんな相手でも魅力=セックスの想定が頭の中にある時点で、やっぱりちょっとズレているのかなぁ、なんて考えたりします。

長かった…。

とりあえず、一通りまとめたんですけど。え、3500字超えた?
ふぅ、疲れた。

裏垢始めて最初期にやった診断が、自分の枠を定める手掛かりになっていることに最近になって気づきました。
ツイートには「横文字多すぎ!」って書いてて、詳しく見る気ないじゃない…と思ってしまった。
ちゃんと読んで理解するには、数か月前の私では経験値が足りなかったということなのでしょう。

やるべき時にやるべきことをやる。

ということですね。
きちんと考えて文章にできたので今回はここまで。