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( ..)φメモメモ

元夫とのコミュニケーションにおいて、いつも非常な違和感を持っていた感覚の解答を佐渡島氏の記事からいただいた気持ちになったのでメモです。

以下雑感。

「わかった」って言葉は、そこで議論が停止してしまうのはその通りで、体感的にも伝わっていないことが多かった。言われた側は二の句が継げなくなるしね。
子どものころ、親にわりと理不尽に怒られたときにこの言葉は出たな。
その時は親をシャットアウトするための言葉だったと思う。

元夫との話し合いの中での「伝わった感」は、どちらかというと相手の中で私が伝えた言葉をかみ砕いて自分なりの言葉に変換したものを聞いた時だったように思う。
聞いて私が「それ!」って言って、やっとこさその議論は同じ俎上に載っている感。感覚のラリーが続いて、いい球きてるなってなるとき。

でもこれって、すごいエモーショナル仕草だったんだろうな。
どこまで内容が本当に伝わったのかというより、気持ちがこちらを向いているという感覚や受け止めてもらったという満足感の方が重要だったんだろう。

だから、「わかってもらう」は自分の論を認識してもらうより、感情的に寄り添ってもらうことの方が大事になる。
人間は感情の生き物だから。

「わかったつもり」が推進力というのも、体感的によく分かる。
「腹落ちしないと人は動かない」が信条だし、みんな実際そうでしょ。
私の姿を見て、ダイエットしたいなって言う人は多いんだけど、実際にやるかどうかは別。
会えてる裏垢男子見て、その手法を開示してもらっても動けるかどうかは別。
こうなりたいの例が目の前にあって、本人も変わりたいと言っていたとしても、実際にやるかどうか本当に別で、それを表すのに私は「腹落ち」って言葉をずっと使ってた。
佐渡島さんは「わかったつもり」なんだろうな。こっちの方が柔らかい感じがする。
「わかったつもり」になって進めてみて、失敗して調整する必要があるんだけど。やってみないと失敗もできないからね。成功体験も大事だけど、失敗体験の積み重ねで失敗の仕方がうまくなることが「わかったつもり」への近道なのかも。

それに、事前リサーチは大事だけど結局先のことは誰にも読めない。
だからこそ、いくつかの可能性を考えた後は「えいやぁ!」でやってみることが大事。日本で「えいやぁ!」やってもたいていは死ななないし。
私は日々新しいことをするときはそのメンタルでいる。
死んだらどんまい!の気持ち。裏垢でご新規さんに会うとき、想定幅のマイナスはいつもそこなので。

>目的は相手を「わかったつもり」にすること。つまり「すっきり」してもらうことだ。
最近よく初めましてすることが多い。
何かを伝えるときはこのメンタルを大事にしたいと思った。

「わかる」っていうことは、もしかしたら非常に感覚的で感情的な行為なのかも。具体的に何かを伝えるってより、お互いの納得を受け止めあう行為なのかもしれない。なんて。

ちなみに、私は人と話しているときに「あぁー…」とか「なるほどぉ…」って言いながら斜め上見がちなんだけど、これしてる時は瞬間的に内省モードに入っているので、反応が遅れがち。
人と喋っているときは目の前の人、目の前のテーマに集中すべきと分かっているんだけど、思考が取っ散らかりがちなのは短所ですね。