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専門学校を1ヶ月で中退しないには。

noteは基本、文章を読みたい人が集まっている。
動画を評価してもらうのは、YouTubeで行うに越したことがない。

私は、音楽や、演奏や、歌うことよりも、
文章の方が得意だ。

わざわざ、得意じゃない分野の成長をしようとするのは、遊びなのである。
私が、才能を活かすなら、楽しみたい気持ちよりも、
文章を極めることに特化した方がいいのだ。

文章は、何をするか❓だ。
同じこと、同じ内容を書いたとしても、
書いた人物を通して、得られる意味が変わる。
私は優れているから、優れていない人と、
同じ内容を書いても反応がいいのだろう。
何様❓といわれてもおかしくないくらい、
得意な分野には、誇りと自信を持つといいのかもしれない。
文章以外の分野は、正直言って、私は、全部他者の劣化になる。
折角、天より書く才能を持たせられているのだから
もっと上手に使うといいのだろう。

私は馬鹿だ。
書く才能があるのに、活かしていない。
書く才能があるのに。
絵と、文章が取り柄だ。
それらふたつについて考えたら、心がシンプルになるんだ。
そのため、暇を持て余すのだ。
得意じゃないことを勉強するのは、ためにもならないし、意味もないが、
暇潰しには最適だ。

というか、どう暇潰しするか、が、大抵、我々人類共通の課題だったりする。

何らかの使命❓を生まれ持った者達❓は、
我々一般的な人がどう暇潰しするか❓を最重要課題として
認識することにたいして、
上手に暇潰しをするにはどうしたらいいか、を
学ぶことに否定的なのかもしれない。

凡人、という言い方は避けたいが、
自身の才能に溺れている人は、
上手に暇潰しすることを最重要課題として 
とっさに考える人間を
凡人、と捉えるのかもしれない。
私は、そういった傲った人間達に反証する意味で、
彼らの想起しやすい思考経路を解こう。

フォロワーが二人ほど、少なくなり、少しショックだ。
しかし、原因が私にあるなら、その原因を探ろうと思う。

第一、noteは活字を読みたい人間が集まるコミュティだ。
動画を評価してもらうのは、YouTubeで行うといいのかもしれない。
(かといって、殻の中から出てこずに、新しい挑戦を躊躇している人間は
成長しづらい、と思うため、
YouTubeチャンネルページをこちらでも紹介したことに後悔はない)

自分自身に喝を入れたい気持ちだ。私の武器は、文章と絵だろ。
それ以外に色目使ってんじゃねぇよ(もっと真剣に文章を極めろよ)ということだ。

まあ、自分自身に喝を入れたい気持ちもあるけれど、
なぜこのような行動を取ったのか、それを分析することが大事だ。

やはり、才能を極めることよりも、
上手に暇潰ししたい欲求が勝っていたからだ。今日、それがわかった。

才能がある分野、得意な分野は、目的・目標を達成するのが神速だ。
音や光のレベルで解決するものだから暇を大きく持て余すことになる。

暇を大きく持て余すことは、その分野の才能があるため、
という事情はあるけれど、暇を大きく持て余している状態は
快適な状態ではないのだ。

快適な状態→暇を大きく持て余さない状態
と感じていて、
得意じゃない分野の方が、
暇を大きく持て余さない、という意味では快適だ。
ただし、成果が伸びないのは
快適じゃないけれど。

有名になりたかったら、大きく暇を持て余す状態にも慣れて
その原因になっていると言える才能を、磨き続けるといいだろう。

私は、深層では有名になることをキャンセルしている。

それも、長年、上手に暇を潰すスキルを身に付けたからだろう。
折角、身に付けたスキルなのだから、使うことで、利益を得られるだろう❓

理論的には、上手に暇を潰すスキルを今後一切使わないことにして、
才能を磨くことだけ考えれば有名になる確立は増加するだろうな。

まあ、上手な暇潰しが、脂の乗った文章を描くための、
アイデアをくれる事実があるから。
上手な暇潰しを兎に角、研究しまくったね。

今日から、次元を上げる。私の武器は、文章と絵。
上手な暇潰しよりも、才能を磨くことを優先。

まあ、以前は、ある分野の才能を磨くことしか考えていなくて
上手な暇潰しをポジティブに考えられない時期があった。
それは、相手との会話を楽しむ気持ちが生まれなかったり、
楽しめる会話をするスキルを学ぶ気持ちが生まれなかったり、に繋がり、
社会生活を営む上で、私の健康寿命に関わることだと判断し、
上手に暇潰しするスキル、相手と会話を楽しむスキル、
を意欲的に学び始めたね。
 

若い学生さんには、そういう意味では、
どうしても叶えたい夢があるなら
専門学校に行くのはおすすめできるかもしれない。理論的に。

しかし、上手に暇を潰すこと以上に、
才能を磨くことに視点を当てていないと
高い学費の元が取れないかもしれない。

自分と同じ志がある(進路の)仲間との会話は、
同じ進路じゃない仲間との会話よりも
生産性が高いかもしれない。理論的には。
会話とは、情報収集にもなるけれど、上手な暇潰しと言える側面もある。
だから、どうせ上手に暇を潰すなら同じ進路の仲間の方がいいだろって話だな。
だから、本当にどうしても叶えたい夢があるなら
専門学校に高い学費を払って通うのを私はオススメできる。
しかし、上手に暇を潰したい欲求が、才能を磨きたいという欲求を、
上回らないようにしないと高い学費の元は取れないから気を付けるといい。

私にとって、noteがヘヴンなのは
同じ志・進路の仲間しかいないからだと言える。
みんな文章好きじゃん❓それが全noteユーザーの共通点なんだよ。
noteの仲間と会話するのは生産性高い。
職場の仲間達と会話するのもまあまあ、生産性高いよ。
まあまあ、って言ったのは、
それぞれ好きなこと・分野に差異があるため
別のコミュニティの方が生産性高い会話が、
お互いに出来るのではないか、
と私は思っているところもあるけれど。
(それを思っているのは、私だけかもしれない)
私の職場のコミュニティは、
安心感がとてもあるコミュニティだと推す。

生産性高い会話をしたい、と憧れる人は
人間が本能的に積み上げた
「安心感がとてもあるコミュニティ」から
離れようとしたがる。
実際、私も、学生時代の友人と
気付いた人間関係は
「安心感がとてもある人間関係」だった。
だけれど、私は、生産性高い人間関係を
築きたかったばかりに
学生時代の友人との縁を本当に完全に
全部切ってしまっている。
私を冷たい人間だと思うひとがいても、許す。
しかし、学生時代の人間関係が
本当に生産性なくて困っている人間も、
世の中にはいて、
私もそういう悩みがあった人間だ。

私は、思いきって、学生時代の人間関係を、
本当に全部縁を切った。
さあ、これで晴れて、生産性高い人間関係を
追求できるな…
生きるってことは
そういうことじゃないんだよな。
以前の私は、それを勘違いしていた。
私は、何様❓な心で、
この人間と関わることは生産性が高いかどうか❓
を真剣に考えていた。
人をジャッジしていた。
人をジャッジすることはよくないと今だから言える。
見下されても、言い返せない人間もいるけれど、
だからって見下す側の思考回路が正当化される訳じゃない。
顔も知らない読者相手に、今日の私は異議を唱える。

高校卒業後、専門学校に入ったけれど、
私が相手をジャッジする気持ちを直せなかったことと
上手に暇を潰す意義を理解しなかったことと、
楽しめる会話をしよう、というフレンドリーさが欠けていたため、
1ヶ月で中退した。
環境は、私を理解しようとしたけれど、
私が環境を理解しようとしなかったことが原因だ。

高い学費を払って入学したけれど、私は1ヶ月で中退を決断した。
その専門学校で学ぶ分野は、私が本当に学びたい分野じゃなかったようだ。
当時は、混乱していて、心の整理がつかない状態で決断した。

だから、この記事の途中にも書いたけれど、
本当に学びたい分野なら、高い学費を支払ってでも学ぶといいと推せる。

高校卒業の年齢だと、自分が本当に学びたい分野、っていうのを
自分自身が分からないかもしれないけれど、
それでも、私みたいに、
1ヶ月で中退しないためには、
その分野が本当に学びたい分野か❓
上手に暇を潰すスキルを磨くために入学するのではなく
開花させたい才能を磨くために入学するんだ、
ということを押さえて置いて欲しい。

楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈