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チャンネル登録するハードルが高い方に、登録させてこそいい動画。

YouTubeの登録チャンネルをいい意味でまた整理した。

今まで、欲望が渦巻くリフレインを望むのは

いい意味で自己以外のせいなんだと

考えるために

自分よりもすごいところがある‼️

と思ったらすぐに登録するようにしていた。

すごい、と思ってあげるハードルを極めて低く設定しているんだから、

私に対しても、

すごい‼️といってもらえるハードルを極めて低く設定してもらいたい‼️

と思っていた。

それに、自分は相手のチャンネルに滅多に登録しないのに

いい意味でまだ稚拙さが残る自分のチャンネルに登録して‼️

と呼びかけるのは

私の立場になったとき、相手にされて嫌なことだ。

動画の勉強不足も気になったし、

始めたばかりの素人が、

自分は相手のチャンネルに滅多に登録しないのに、

自分のチャンネルに登録して‼️

と呼びかけるのは変だと思った。

しかし、今まで相手のチャンネルに登録するハードルを

極めて低く設定することで

実際は、動画について何も勉強が進んでいないのに

勉強した気持ちになっていた。

参考書だけ買って、勉強していないような状態かもしれない。

noteでも、はじめは、

相手をフォローするハードルを極めて低く設定していた。

ここに書いたのと同じような考えで。

相手をフォローするハードルを極めて低く設定しても、

自分が相手にフォローされるハードルが極めて低くなることはなかった。

時折、フォロー整理をしないと、

片思いの気持ちが嵩み続けてしまう。

YouTubeでも、遂に登録整理をした。

ちなみに、登録整理は記憶にある分には2回目だ。

note経由で関わった方の登録は残しておく。

あとは、YouTubeホームに表示されるために

本当は「ウッ」てきている投稿者の登録は外した。

たとえそれが、チャンネル登録者がウン十万の投稿者でも外した。

心を汚したり、汚されたり、を繰り返すことが当然だと、

今までは自分に言い聞かせていた。

だけれど、相手によって心が汚されていると感じたなら

登録を解除してもいい‼️と考えることにした。

私に投稿も、私の心とリンクしていて、

私の心が相手に汚された分、

私も自分以外の心を汚すような投稿もしていた。

心が弱い方は、心を入れ替えたとき、指を刺されることが怖くて

変われずにいるかもしれない。

だけれど、私は、noteでいい意味で変わったように

YouTubeでも変わってみせる。

動画の勉強をした気持ちになっていたけれど、

本気で勉強していなかった。

相手のチャンネルに登録するハードルを極めて低く設定しているんだから、

相手も私と同じように

私のチャンネルに登録するハードルを極めて低く設定してもらわなきゃ

困るなぁ、

というのは甘えだ。

そんなことよりも、

チャンネル登録するハードルが高い方に、

登録してもらえるような

動画を作ろう、とする方が

結果的に成果が伸びるかもしれない。

自分の甘えに気づき、それを反省するまで

かなりの時間がかかった。

一気に成果が出ることを望むには望むけれど

想像上では、私の能力が向上していくのは

なだらかだと思っている。

ちなみに、YouTubeは、全てのチャンネル登録を外しても、

オススメの動画が表示されるのはキャンセルできないようだ。

本気で創作するために、

外からの刺激を徹底的に遮断したいのが私なのであるけれど、

YouTubeは外からの刺激を、必ず受け取ってしまう設計にある。

外からの刺激とどう向き合うか、という視点で、

利用を迫られるコンテンツかもしれない。

その分、投稿者としての人生を追求するよりも、

視聴者としての人生を追求する方がはるかに楽だと、

思わされる仕組みかもしれない。

実際に私も、今日まで視聴者としての人生追求の気持ちが強かったし。

またnoteはタイムラインを開かなければ、外からの刺激は入らないため、

本当に私に合っている。

ただし、通知が来ることにさえ、いちゃもんをつけるようでは、

わがままだと思うから、そこは飲み込んだ。

自分以外のせいにできない人生はいい意味で孤独だ。

成果が出ないのは全部、自分に理由がある。

成果が出ないが、特別不幸なわけでもない。

という空白の時間を持て余しがちになる。

私たちは空白の時間を持て余していると感じると

それを他者により埋めようとする。

投稿者としての人生を追求するよりも、

視聴者としての人生を追求することは、

まさしくそういう心が現れている。

人間は、孤独と怠惰を嫌う。

だから、投稿者としての人生よりも、

視聴者としての人生を追求する方が、

遥かに楽だ。

投稿者は、孤独と怠惰に耐久できる

クリエイターでいることが迫られる。

小さな頃、伸び代をあれだけ感じていたのは、

投稿者としての人生観も、視聴者としての人生観も

いい意味で固まっていなかったからかもしれない。

人生観が固まると、

孤独も怠惰も形があるように思えて来る。

その上で、私たちはどちらの人生を追求するかを選択し、

選択した分だけ、習慣になっているかもしれない。

ちなみに、今日は祝日の金曜日。

今日は、自分の衣類を洗濯した。

孤高、とは、相手のチャンネルに登録するハードルを

いい意味で低くしないことかもしれない。

孤高を言い訳にして、

ただコミュニケーションコストが高い人間になってはいけない。

それは私の経験から思うことだ。

思春期は、孤高、という言葉に関心があり、

孤高のような振る舞いを行うことに関心があった。

しかし、

周りとの関わりを勉強しない口実に、

孤高という言葉を使ってはいけない。

それを使っていいのは中学生までだ。

厨二病という言葉があるから。

少なくとも高校生にもなって、

周りとの関わりを勉強しない口実に、

孤高という言葉を持ち出すようでは

子供だ、と思う。

まあ、私がそういう高校生だったんけれどね。🗼🔮🌈


これからは、チャンネル登録のハードルが高い方にも、

登録してもらえるような動画を、作れるように頑張ろうと思う。

ちなみに、これは私が今回の気づきを得る前に作った動画達。











楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈