見出し画像

ジェットコースターサディスティック

ジェットコースターは周りに絶叫苦手な人がいると楽しい。
自分は平気だからである。
絶叫苦手な人はどの部分に「いや」と感じるのだろうか。
おそらく、死をイメージするからではないだろうか。
今となってはもうわからないが、
そうではないかと考えている。

自分は、最初からジェットコースターが得意だったわけではない。
もともとは苦手だったのだ。
初めてジェットコースターに乗ったのは小学2年生のころである。
親父に無理やり乗らされたのである。

初めて乗ったジェットコースターは富士急ハイランドのフジヤマだった。
もっといい塩梅のジェットコースターに乗ればよかったと後悔が半分である。
当時親父に
「このジェットコースターに乗れれば大概のジェットコースターは怖くなくなる」
と言われ、うまいこと口車に乗ってしまった。
バカなガキである。

その後、人生で初めて腰が抜けた。
足に力が入らないのである。
きっと失禁の8歩手前くらいだろう。

人生で何度か死を悟る瞬間があるが、間違いなく、これがその一つだった。
最高点まで昇るまでが死のカウントダウンのようだった。
さすがフジヤマである。
落ちる時、体重が軽いせいか、ケツが浮くのである。あの感覚は忘れられない。

でもいつからだろうか。
怖くなくなってたのである。
むしろ楽しいと感じていた。
気づいたのは高校生になった時である。
ジェットコースターで怖いと思う事は無くなった。0と言っていい。

死ぬと思わなくなったのである。
さらに「ケツ」があまり浮かなくなったのである。

ジェットコースターのシートベルトを信頼してしまっているのである。
ジェットコースターの手すりをいらないと思ってしまっているのである。

以前はジェットコースターの手すりをヘッドロックのような形で両腕でがんじがらめにしていたのに。
そして、ジェットコースターを怖がってる友達を見ると心底面白く感じてしまうのである。
性格が歪んだのもこの頃ぐらいである。

勝手に自分の実体験を人にあててしまうのである。
怖がってるのは死をイメージしてるからだと。
きっとそうでない人もいるだろうが、大概これが理由だろう。
実際はそうではないが、「死」を恐れていると思ってしまうのである。
もちろん自分も、「死」は怖い。
けれど、ジェットコースターでは死なないと、ジェットコースターのシートベルトを強く信じてしまっているのである。

文章で書くと大変きもいが、
要は「ジェットコースターで死ぬと思ってる事」が面白いと感じてしまうのである。
こんな変態は自分だけだろう。
実際はそうでもない事を勝手に脳で解釈してるのだから。
これを妄想という。

そして、自分を哀れに感じる。
なぜか。
それは自分がバンジージャンプやスカイダイビングを怖いと感じているからである。
パラシュートなしスカイダイビング
紐無しバンジーを想像してしまうのである。 
綺麗な自爆である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?