大学でも自分の気持ちに嘘をつくと

2020年10月4日
 髙橋まおは、目立ちたがり屋で、恥ずかしがり屋であった。この一見相反する性質には、共通することがある。それは、他人からの目を気にすると言うことだ。他人の言うことを素直に受け取り、他人に迷惑をかけたがらず、それでいて他人の評価をすごく気にしてしまう。この性質が大学という場では、大きな足かせになってしまったことを、これから説明したい。
 前提として、高校までと大学の大きな違いを明記しておきたい。高校までは、やるべきことが決まっていて、それさえできていれば良い環境だ。高校の一番の役割は受験に合格させることであって、そのためには勉強さえできていればいい。だから、他人の言うこと(先生の言うこと)をしっかりこなせていれば、うまくいっているとみなされる場である。対して、大学は自己実現の場である。好きなサークルに入ったり、好きな勉強したり、好きな友達と遊んだり、自分のやりたいことができていたら、うまくいっていると見なせる場である。ある友人が「大学なんだからはっちゃけなきゃ」と言っていた。とてもその通りだと思った。大学では自分の気持ち、価値観、行動が重要視される場なのである。
 にも関わらず、髙橋まおは、高校まではいわゆる優等生気質であったため、他人の言葉には敏感でも、自分の気持ちを大切にしてこなかったのである。これが大学生活がうまくいってなかった根本原因だと考える。
 自分の気持ちを重視しない具体例を見ていこうと思う。彼はゲーム、漫画、アニメなどのサブカルチャーが好きである。しかし昔からそれに対する偏見があった。アニメなんか見てたらかっこ悪いなどである。そのため、彼はそれを隠すように振る舞う、もしくは意識的にやらないようにする。その手の話題を出さなかったり、ずっと遊んできたアプリだって、、勉強のために消そうとするのだ。
    自分の気持ちをないがしろにし、世間(他人)の声(正解)に応えようとしたことも多い。中学、大学で運動系をやったのもそれに近いものがある。運動系の方がかっこよくも見えるし、健康的だから始めたのが大きいのであって、自分が本当にやりたいと思って始めたわけではなかった。留学しようとしてたのもこれに当たる。
     人間関係でもその一面が出ていた。差し障りない会話でも、どう話したら良いかな?どう話したらだめかな、と相手が楽しめるか否かを重視し、自分の気持ちを伝えたり、自分が話したいように話すと言うことができていなかったのである。そんな会話にまで正解を求めていたら、楽しめるはずもなく、相手も気を遣うし、そのコミュニケーションは失敗してしまう。
      大学では、自分のやりたくないことがあったら、やらなくても許される場である。逆に、やりたいことがあったら、どんどんやっていかなきゃいけない場でもある。自分の気持ちを重視してこなかった彼は、自分の気持ちが分からず、自分の気持ちと反することをしようと頑張ってしまった。ここに大学でうまくいかなかった原因がある。
      日頃から思いをきちんと言葉や行動で示していないと、自分が何をしたら良いか分からなくなるだろう。感情は、表現しないでいたら、その感情もわいてこなくなるのだ。日頃から、自分と向き合い、自分がどうしたいのかよく考えることが大切だろう。

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