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鷹森ツヅル〈REDEFINE〉考察(後編)_トピック考察篇

注意

本記事は「鷹森ツヅル〈REDEFINE〉考察(前編)_歌詞と感想」の後編となります。まだ前編を未読の方は、そちらを先に読まれることを推奨します。また、そもそも〈REDEFINE〉を未試聴の方は、下記のリンクから試聴することを強く推奨します。

前書き

 鷹森ツヅル〈REDEFINE〉考察の後編となります。本篇では、前編の感想を基に気になったキーワードを取り上げ、本曲で鷹森ツヅルさんが伝えたかったことが何なのか、私なりに考察していきます。最後の「Final Topic」では、全体を俯瞰しつつ、考察を締めくくります。誤読、勘違い、曲解、若干のメタ要素が含まれる可能性がありますので、そういったことが許容できる方のみ、続きをお読みください。


物語の概要

 細かいトピックをさらう前に、まずは〈REDEFINE〉が描いた物語の全容を押さえておこう。以下が私なりの説明だ。

簡潔に一行で表すと

 コンパスやガイドブックもない旅に出て迷子になってしまったボクらが標(しるべ)を取り戻す物語

物語の要約

 スタート地点である〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉では「こうなったら良いな」という願望と共に、歩き始めることを重視して、一歩を踏み出した。しかし、〈REDEFINE〉になると、ガイドブックもコンパスもない旅は気が滅入ることばかりで、自分に枷を嵌めようとする仕草が染みつくようになる。次第に、旅をする意味を見失い、この世界の道の先すらも「不確かで透明で曖昧」なものだと理解し、立ち止まってしまう。そんな時、自分の胸の中に消えない火が灯り続けていることを見つけ、原点(オリジナル)を見つめ直すことで標を得る。世界は「不確かで透明で曖昧」なもので、ボクらの歩んだ歴史を真っ黒に塗りつぶさせようとするけども、反対にボクらは、世界やボクら自身を自分の色で鮮やかに塗り変えて行ける。旅の道標を得たボクらは何度揺らごうとも、世界とボクらを塗り変えながら、境界線を越えて荷物を届けに行く。

トピックごとの歌詞考察

 物語の全容を確認できたところで、本題のトピックとその考察に着手しよう。いくつか提示するトピックは、あくまで私の独断と偏見で〈REDEFINE〉を深く理解するために役に立つと判断したものだ。他にもトピックの候補はあると思うので、あなたなりのトピックを探してみるのも面白いだろう。
 また、全てのトピックを読破するのも大変なので、気になるトピックだけを拾い読みしても構わない。トピック同士で関連がありそうな場合は、その旨を文章中で言及している。

Topic 1 -「ここに生きる意味」と「この道の先」の解像度を上げてみる

 〈REDEFINE〉の物語は、「ここに生きる意味」と「この道の先」から幕を上げている。繰り返されるサビの歌詞の中でも、この二つのフレーズだけは固定されている。このことからは、この二つのフレーズが物語の根幹に関わることを示唆しているように見受けられる。そこでこのトピックでは、やや抽象的な表現である「ここに生きる意味」、「この道の先」を深掘りしていく。
 まずは、「ここに生きる意味」から。「生きる」と云っても、鷹森自身が己の生死を悩んでいるわけではなく、自身の在り方に考えを巡らせているわけなので、「ここに生きる意味」はより具体的には「Vtuberとしての存在意義」と換言できる。存在意義は、多くの人が頭を悩ませてきた普遍的な命題だ。以下で引用するように、存在意義のために殺人を犯す人までいる。

1997年、神戸の中学校の校門前で、切断された小学生の頭が発見されました。
その口にくわえさせられていた警察に対する挑戦状の差出人は、酒鬼薔薇さかきばらとあります。
犯人像は30〜40代男性かと思われていましたが、
逮捕されたのは、14歳の中学生でした。

神戸新聞社に対する声明文には、世間の注目を集めたのは、
「透明な存在であるぼくを認めていただきたい」
とありました。

そして、
「警察はぼくの存在をもみ消そうとしているのではないか」
「存在理由、目的は殺人」
「透明な存在であるぼくを作り出した義務教育と社会への復讐も忘れていない」
とあることから、自分に存在意義が感じられず、
存在意義かを感じるために殺人を行った事件でした。

日本仏教学院 《仏教ウェブ入門講座》〈存在意義(レゾンデートル)〉
(https://true-buddhism.com/teachings/reasonforbeing/)より 

ただ、この少年と鷹森との間には壁がある。少年は外部からの承認によって存在意義を確立しようとしたのに対し、鷹森は存在意義を己の胸の中から見つけ出している。鷹森が歩む旅は、他者にとっての鷹森が存在する意義を創出することにも繋がる。この少年も鷹森と出会っていれば、あるいは……。
 音楽の知識が乏しいので正確かどうかは定かではないが、歌詞全体をサビでABCパートに三分割するなら、A・Bパートの「まだここに生きる意味」からCパートでは「ここに生きる意味」へと変化している。死神の鎌を弾き返す凱旋表現だ。〈REDEFINE〉の結末では、踵を返す可能性は消え失せている。
 次に、「この道の先」だ。このフレーズは「不確かで透明で曖昧」との結びつきが強いが、その点はTopic 2で焦点を当てることにする。ここで注目したいのは、俎上に載せられているのが「この道」ではなく、(この道の)「」であることだ。ずっと「先」にフォーカスが当てられる一方で、「この道」自体には言及されない。実はここに対比が隠されている。
 状況を整理しよう。

足りない何かを求めるように
新しい靴で歩き始めた
気づけば抱えきれないくらい荷物を
どこに向かって誰に向かって
届けてるんだろう

鷹森ツヅル〈REDEFINE〉より

ここの歌詞で描写されているように、歩き始めて(ボクらが今どこにいるかは定かではないが)どこかには立っている。つまり通ってきた軌跡は確実に存在し、透明ではなく、曖昧でもない。ボクらは気づいていないかもしれないが、〈REDEFINE〉以前から「道」は既に描いてきている。自分の足で歩いてきたからこそ、「道」は確固なもので、逆に「先」の状態に気づいた時に、ギャップの大きさに打ちのめされるのだろう。
 ここまで「ここに生きる意味」と「この道の先」を考察してきたが、これはあくまで〈REDEFINE〉における鷹森ツヅルにとってのものだ。冒頭でこれらの言葉がやや抽象的な表現だと評したが、これはおそらく鷹森が意図したものだ。要するに、〈REDEFINE〉を聴いた人に、自分なりの境遇を当てはめて鑑賞する選択肢を残したのではないだろうか。〈REDEFINE〉は様々な視点から楽しめるようになっている。

Topic 2 -「不確かで透明で曖昧」とゆらぎ

 「ここに生きる意味」と「この道の先」を、鷹森は「不確かで透明で曖昧」と表現した。人によっては負のイメージを持つだろうが、それとは別に面白い解釈がある。
 私にとっては、このフレーズは「ゆらいでいる」と同義だ。そして、「ゆらぎ」はこの世界や私たちにとって、実は不自然なものではない。それを説明するためには、宇宙の起源にまで遡る必要がある。
 137億年前、何もない空間に特異点が出現し、それが大量の真空のエネルギーによってインフレーションを起こして超高温・高密度の火の球となった。その火の玉の中では、まず素粒子や光子が誕生。それらは陽子や中性子になり、原子核が構成され、原子へなってゆく。さらにこの火の玉は「バンッ」と急速に膨張して、現在の宇宙の姿を形作ってゆく。この一連の流れの中で重要な要素が、インフレーション前の宇宙に「真空のゆらぎ」が存在したことだ。「真空のゆらぎ」とは、量子論の世界において、真空であってもある物質が発生しては消える状態のことを指す。インフレーションによって「ゆらぎ」が引き延ばされたことで、物質が比較的多い密度の濃い部分は重力(引力)が強くなり、周囲の物質を引き付けてゆく。そうして、星の誕生へと繋がってゆく。均一ではなかったからこそ、今の宇宙、世界がある。
 ゆらいでいたのは、素粒子や光子も同様だ。かつてはそれらがぶつかり合い、光は拡散するしかなかった。素粒子が最終的に原子へと発展したおかげで、光は直進できるようになった。宇宙の歴史の話はこの辺にしておこう。
 このようなゆらぎは、日常にも潜んでいる。部屋の温度や、外で吹く風の強さ、小鳥たちのさえずり、私たちの鼓動。それらは全て一定のものではなく、ゆらぎが存在する。ゆらぎは普遍的なものなのだ。
 本題に戻ろう。ゆらぎに囲まれた私たちにとって、鷹森の示した「ここに生きる意味」や「この道の先」のゆらぎは、本来自然なものだ。意識的にゆらぎを受容し、この世のゆらぎを楽しんで、ゆらいでいく自分の色すらも楽しめたら、鷹森のように前向きに生きていけるのではないだろうか。

Topic 3 -「抱えきれないくらい」の「荷物」の中身

 皆さんは「抱えきれないくらい」の「荷物」と聞いて、最初に何を想像しただろうか。私は、ファーストインプレッションで、責任や重圧、将来の不安等々が思い浮かんだ。しかししばらく聴いているうちに、勘違いだったことに気づいた。なぜなら、誰かへの届け物であると示された以上、それが鷹森ツヅル個人に由来するマイナスなものとは考えられないからだ。
 「鷹森ツヅルが視聴者に届けたいものは何か」と考えると、発表した作品自体や作品を通して伝えたいメッセージ、感情、感動が候補に挙がる。まだ未発表の作品の種も含めて良い。それ以外にも何かあるのかもしれないが、それは鷹森のみぞ知るところだ。
 ところで。「荷物」以外にもギターを背負っているハズなので、転ばないように気をつけて欲しい。特に、鷹森Aツヅル。

Topic 4 -「ボクら」、「キミ」とは誰?

 「ボクら」、「キミ」は人称代名詞だが、実際に誰を指しているのかは、〈REDEFINE〉では曖昧だ。これは物語の解釈の仕方に幅が持たされていることが起因している。つまり、①鷹森ツヅルが再び歩き出す物語であると同時に、②観測者であるリスナーも何か歩みが止まった時に、入り込める物語でもあるのだ。①の場合は、「ボクら」と「キミ」は共に鷹森ツヅル。自分を鼓舞するために、自分に語り掛けている構図になる。②の場合は、「ボクら」は鷹森ツヅルとリスナー、「キミ」はリスナーだ。一緒にもがき、鷹森が語り掛けている構図になる。
 どちらの解釈が正しいというわけではない。だがその都度、自分が今どちらの解釈で〈REDEFINE〉を聴いているのかを明確にすることで、人称代名詞の曖昧さに振り回されることなく、〈REDEFINE〉を堪能できるだろう。

Topic 5 -「夢の欠片」が繋いだ「声」を構成するもの

 ボクらが歩き出すきっかけとなるのが、以下の歌詞だ。

それでも一つ一つ組み立てては
壊してしまった夢の欠片が
道標べのように紡いで繋いだ
誰かが呼ぶ 呼ぶ
ボクらを呼ぶから
声の先へただ進むよ
懐かしいくらい聴き慣れた声だ

鷹森ツヅル〈REDEFINE〉より

では、ここでいう「夢の欠片」が繋いだ「懐かしいくらい聞き慣れた声」とは、具体的に何なのか。
 真っ先に思い浮かぶのは、「何かに夢を抱いた過去のボクら」。「夢の欠片」が誰のモノなのかは明白だ。それを組み立てた時に、真っ先に過去のボクらが「呼ぶ」行為は自然だ。しかし、他の解釈も存在し得る。
 それは、「原体験に刻まれた誰かの声」の可能性だ。例えば、「ボクら」がとある音楽アーティスト(集団)に憧れを抱いたとしたら、最初に聴こえるのが、歌唱や彼らが呼び掛ける声だとしても不思議ではない。尾崎豊かもしれないし、藤原基央かもしれないし、鷹森ツヅルかもしれない。
 もっと拡大解釈すれば、当時の自分や周囲の環境全てを含めた、「時代の声」でも良いのではないか。色々なものが混ざり合って、一つの声のイメージでボクらに呼び掛ける。昭和、平成、園児時代、学生時代……その時々の時代に生きたボクらがいて、その時のボクらは色々な人やモノに囲まれて、息を吸って夢を抱いた。その時代の声を忘れているだけで、確かに自分の中に眠っているのではないか。
 まとめると、「夢の欠片」が繋いだ「懐かしいくらい聞き慣れた声」は、重層的な厚みのある概念だ。実際にどんな声かは人とタイミングに依るだろう。どれも優劣はなく、どれもが導き手であり、宝物だ。
 鷹森ツヅルが聴いた声は、どんな声だっただろうか。
 あなたの聴く声はどんな声だろうか。

 余談だが、最近リリースされたスマホゲーム《ポケモンスリープ》にも「ゆめのかけら」というアイテムが登場する。ポケモンを進化させたり、鍋を拡張させたりするのに必須のアイテムだ。睡眠を計測した後にポケモンの寝顔を撮影するか、「ゆめのかたまり」を砕くことで入手が可能だ。もしも鷹森ツヅルがポケモンスリープをしていたら、アカウントは共有だろう。「鷹森Aツヅル」、「鷹森Bツヅル」で登録をしたら、ゲーム運営側に複垢を疑われてBANされてしまいそうだから。この場面は、誤操作で「ゆめのかたまり」を壊してしまった鷹森Aツヅルがなんとかならないか慌てふためいている様子に、曲解できる。素直に謝ろう。

Topic 6 -ボクらを縛る枷

 あまりスポットライトが当てられていないように思えるが、歌詞には枷(かせ)に当たるものが3つ登場する。「何も変わらないボクら・セカイという足枷」、「諦め悟るような言葉が似合うようになったボクら」、「未来を縛る自分」だ。当然ながら、枷を嵌められていてはどこにも進めなくなる。ギルガメッシュに天の鎖(エルキドゥ)で拘束されたバーサーカーが良い例だ。行為としての「REDEFINE」は枷を外す行為とも捉えられる。
 〈REDEFINE〉においては、枷を嵌めてくる主体はボクら自身だ。しかも知らず知らずのうちに。この枷も知覚しなければ外せないため、自分自身と向き合う必要がある。それは勇気のいる行動だが、私は〈REDEFINE〉を通して、自らを解き放つリスナーが現れるのではないかと期待している。
 ただし、身近にギルガメッシュがいる場合は、周囲の人や公的機関に相談して、逃げるなり、枷を解いてもらうなりしよう。

Topic 7 -「真っ黒」とボクらの色と月のしらべ

 〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉の歌詞には、以下のようなフレーズがある。

ボクらの綴る歴史が たとえ
真っ黒だって笑われようと
真っ白なページを めくるよりいいよ
もがきながら進むんだ
遠回りしたって

〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉より

 〈REDEFINE〉では色に焦点が合わせられる。すると、〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉の色に関する描写も呼応して重要性が高まる。引用箇所は〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉で「真っ黒」と「真っ白」が言及される場面だ。前向きな歌詞の中で描かれるネガディブな内容から、印象に残る箇所でもある。この時点では、「他の人に黒歴史と判定されても、空白よりはマシ」と拗ねたような姿勢だが、〈REDEFINE〉になると、この歌詞の立体感が増してくる。
 分かりやすいように、例を挙げる。大体のライバーは、自身の初期の活動の記録を「黒歴史」として扱う。しかし、月ノ美兎はそうではない。下記で紹介するのは、月ノ美兎が自分の初期のツイート(Xが「Twitter」の名称だった頃の「ポスト」に該当する機能)を振り返る配信で、〈月ノ美兎が質問箱に返答する動画〉を同時視聴する場面だ。

「なんかね、不思議と恥ずかしいという感情が湧かないてこないですね。(中略)なぜなら、わたくしこの時頑張っているから」

月ノ美兎〈月ノ美兎、自分のツイートを断罪〉
(https://www.youtube.com/live/A3kWfSScPaY?si=4uNYzbx-gztLAPGu)より

先駆者たる月ノ美兎が発したこの一文に、答えが詰まっている。要するに、ボクらの綴る歴史が「真っ黒だ」と笑われたとしても、本当にそうであるかは、ボクらが決めることだ。言い換えると、最終的にボクらの歴史を「真っ黒」で塗り潰すのはボクら自身なのだ。
 ただ「真っ黒」に塗られる立場から、「ボクらという色がまだ足りない」この世界を塗り変えていく立場への転換が図られる〈REDEFINE〉。しかし、ボクらの色は「真っ黒」になり得る。最悪の未来を避けるためには、自分の胸の中に灯る消えない火に真摯に向き合い、誰にも消せない軌跡を残していくことが必要不可欠だ。

Topic 8 -「鮮やかに」のニュアンス

 連呼されることからも、明らかに重要なフレーズ「鮮やかに」を理解するのに苦労した。考え過ぎてゲシュタルト崩壊を起こした程だ。読者の皆様には同じ轍を踏んで欲しくないため、まずは、国語辞書で引いた「鮮やか」の意味を確認しよう。

あざ‐やか【鮮やか】
1 ものの色彩・形などがはっきりしていて、目立つさま。

《デジタル大辞泉》(小学館)より

〈REDEFINE〉の歌詞では、塗る行為の副詞として用いられている。

今ここに生きる意味も
この道の先も
鮮やかに
ボクらがこの手で塗り変えて行くよ

鷹森ツヅル〈REDEFINE〉より

「鮮やかに」のニュアンスが掴み切れなかった原因は、Topic 7と近い考えで、塗り変える時に使う自分の色が鮮やかである確証が持てないからだ。
 これは間違いなく、夢追翔の影響だ。彼の歌詞なら地図はゴミ箱に入っていたり、グシャグシャになっていたりするし、〈ぼくの頭から出ていけ〉では、己の中に化け物がいることを意識させられた。こういった楽観的ではない自己認識は、彼が好んで仕込む毒だ。
 それを意識して考えると、「鮮やかに」は鷹森の心根の良さが表れているフレーズだ。おそらく鷹森は、燻ってる状態から抜け出したボクらの色は「鮮やか」だと、無意識に確信している。ぜひ、この感性のまま道を歩んで欲しい。切実に。

Topic 9 -「すべての後悔や過ちを正解に変えていく」の解釈

塗り固められたこの世界には
ボクらという色がまだ足りない
未来を縛る自分の胸に
刻むように届けるそれは
すべての後悔や過ちを
正解に変えていく歌だ

鷹森ツヅル〈REDEFINE〉より

 歌の最終盤に歌い上げられるのが、この歌詞だ。ここの「すべての後悔や過ちを正解に変えていく」の解釈に確信を持てなかった。最終的に二つの解釈まで絞りこんだが、決定打に欠けているように思える。このTopic 9では、その解釈を紹介するので、ぜひ読者の皆さんも考えてみて欲しい。
 一つ目の解釈が、「すべての後悔や過ちを肯定する」解釈だ。これは、藍井エイルの〈シリウス〉(作詞は「meg rock」こと日向めぐみさん)の歌詞に近い解釈だ。

一度目に〈REDEFINE〉を聴いた時は、この解釈で受け止めていた。しかし、歌詞全体を俯瞰してみると、どうも鷹森の意図は違うように思える。というのも、以下で引用する歌詞が特に引っ掛かるからだ。

自分以外の誰になろうとしたって
「ありのまま」を言い訳にしたって
変わらないボクらもセカイもいつも
足枷のようで苛立つけど
それを変えていけるのは
自分だけだろ?

鷹森ツヅル〈REDEFINE〉より

これは数多ある「後悔や過ち」の一つだと思うが、同様の内容は〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉にも存在する。

怖がって ためらって 諦めて
強がりだけで無為に過ぎていった時間を
取り戻すんだ 今
ここから一緒にはじめよう

〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉より

これらの「後悔や過ち」からの脱却を図る姿勢が一貫して描かれていることを考慮すると、この解釈は急速に説得力を失った。
 そこで考えた二つ目の解釈が、「すべての後悔や過ちから脱却し、前に進むことが正解の道だ」とする解釈だ。脱却できれば、「すべての後悔や過ち」は過去のものとなり、ボクらの色とは混ざり合うことなく決別することになる。この解釈なら、Topic 8で俎上に上げた「鮮やか」との整合性も合う。一方で、詩的センスを持つ鷹森が、この内容を「正解に変えていく」と表現するかは首肯し切れない。「選んでは間違い」と対比した表現のような気もするが、掴み切れない。
 公開された時点で制作者の手を離れる以上、受け手による誤読も許容されると信じているが、悔しさは残る。読者の皆さんはどう解釈しただろうか。

Topic 10 -歌詞の表記に残る痕跡と可能性

 このトピックはおまけ的なものなので、気楽に読んで欲しい。歌詞の内容の考察というよりは、送り仮名間違いと表記揺れを通して、重箱の隅を楊枝でほじくるが如き余計な詮索をしていく。
 まず取り上げるのは、「道標べ」だ。「道標」には一般的に「べ」の送り仮名を付けることはなく、PC入力でも一発変換では表示されない。また、「道」+「標(しるべ)」でも同様だ。「標」に送り仮名を付与するには、動詞形「標(しる)す」で入力する他ない。このことから、鷹森は「道」+「標す」と入力した後に、「す」を削除して、「べ」と足したことが推測できる。この入力手順は、鷹森の中で「夢の欠片」がボクらに声の先へ続く道を標すイメージが強かったことの証左だろう。
 次に取り上げるのは、「いく」と「行く」の表記揺れだ。一般的には、「行く」は「いく」と「ゆく」の読み方が許容されており、前者がくだけた話し言葉の読み方なのに対し、後者が少し固い書き言葉の読み方とされている。最初は単なる表記揺れかと思ったが、どうやら「いく」と読む場合には「いく」と、「ゆく」と読む場合には「行く」と表記しているようだ。この表記ルールは過去の楽曲でも概ね採用されている。
 結論から云うと、おそらく音程の上下や音の伸ばし具合、シーンのニュアンスによって、「いく」と「行(ゆ)く」を遣い分けている。文法に基づく統一はされていないので、あくまで鷹森が感情を乗せて歌いやすくするための表記だ。ひらがなと漢字で表記を変えていると明確に判別が可能になるが、鷹森が自分の手元の歌詞にルビを振ることでも代用できる。個人的なルビで済ませずに、リスナーへ見せる歌詞に律儀に表記分けを反映させる姿勢からは、鷹森の几帳面な性格が読み取れる

Final Topic -標と鷹森ツヅルとREDEFINE

Final Topic 1 -標のREDEFINE

 〈REDEFINE〉でボクらは二つの「標」を得ることで、前に進むことができた。「座標」「道標」だ。
 〈REDEFINE〉での再始動の起点は、「原点」を見つめ直し、明確なものとすることだった(DEFINE)。原点(0,0,0)が定まると、相対的な関係から、現在地の「座標」(今ここ)もプロットできるようになる。さらには、原点と現在地の座標を結ぶことで、これまでの通過点(軌跡)が見えてくる。これからの旅では、もしもその軌跡がおかしくなっていたら、その度に軌道修正(REDEFINE)していける。
 また、原点を振り返ることを通して、ボクらはどこに行きたかったのか、思い出すことができた。「どこに向かって誰に向かって届け」るのか、答えを得て、道標が示された。
 このどちらかが欠けたら、ボクらの旅は上手く進めなくなる。今回の〈REDEFINE〉でのREDEFINEで、ボクらは地図とコンパスを手に入れたのだ。失くさないように、生涯を通して、丁寧に扱おう。

Final Topic 2 -鷹森ツヅルとREDEFINE

 〈REDEFINE〉は1stアルバム《鷹森ツヅルの自己紹介(的)CD!》がリリースされてから、最初のオリジナル曲に位置づけられている。アルバムは分かりやすい区切りの一つだ。だからこそこのタイミングで、エポックを画する手続きとして、鷹森は「ボクら」を再定義したかったのではないか。
 《鷹森ツヅルの自己紹介(的)CD!》には〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉、〈夏空と残響〉、〈FACE // FACE〉の3曲が収録されている。だが、そのいずれでも、鷹森Bツヅルに関する言及がない。「FACE // FACE」では、鷹森Aツヅルと対になってボーカルを務めているが、曲だけを追っているリスナーにとっては、「誰よ、その女!」状態である。
 バーチャルシンガーソングライターとしての核は、オリジナル曲なので「配信で説明した」というのは、片手落ちだ。だからこそ、〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉と地続きの物語〈REDEFINE〉において、鷹森Aツヅルと鷹森Bツヅルがデュエットで「ボクら」の在り様を歌う構成にしたのではないか。「塗り変えていく」ことが曲中で鮮やかに示され、二人がハモリながら「ボクら」を描写していれば、どんなリスナーでも〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉の先である〈REDEFINE〉では、鷹森Bツヅルも「ボクら」の一員なのだと合点がいく。
 この説を補強する資料がある。以下で引用するのは、新ビジュアルお披露目配信のニカ月後に公開された、鷹森ツヅルのPIXIV FUNBOXの投稿記事の新ビジュアルに関する箇所だ。なお時系列として、3rdシングル〈FACE // FACE〉リリース後の記事であることは、補足しておく。

デビュー当時とはやりたい音楽の趣向とかも少し変わってきてて、大人っぽい曲とかカッコイイ曲もやりたいな~~という気持ちから、いろんなジャンルの似合う見た目になりたいなと思いました。
あとは初めて声出した当初「見た目より大人っぽい声だな」と言われて、見た目と声のイメージ合ってないのかな~~というのはずっと引っかかってたのと、鷹森Bはより声と見た目にギャップがあって(そもそもデビュー当初はBの声で活動するつもりなかったので)、Bくん含め、なるべく見た目と声の印象の違いがなくなるようにアップデートしたいなという気持ちもずっとありました。

鷹森ツヅル PIXIV FUNBOX 2021/3/22 投稿「近況報告とか音止めのこととか」
(https://txzxrxx.fanbox.cc/posts/2043563)より

この箇所で述べられているように、デビュー当初(〈鷹森ツヅルの自己紹介(的)ソング〉の段階)ではBくん(鷹森Bツヅル)の存在は想定されていなかった。その後、収益化記念配信でサプライズ登場する。
 さらに、この記事で提示されている新ビジュアルのデザイン資料の中に、タイトルが「鷹森ツヅル_REDEFINE(α)」、「鷹森ツヅル_REDEFINE(β)」のスライドがある。この頃から、〈REDEFINE〉に通底する「鷹森ツヅルをREDEFINEしていく」意識があったことが窺える。
 配信上では、REDEFINEを既に終えている。次は楽曲とそのMVにおいて、REDEFINEを完了させるステップだ。2023年9月2日に〈REDEFINE〉のMVが公開される。その際に新ビジュアルでリスナーの前に姿を現すことは、「せっかくだから、新ビジュアルでMVを作ってみた」以上の価値を持つ。鷹森ツヅルとリスナーにとっての大切なREDEFINEなのだ。

後書き

 MVが公開される前に、この記事が公開できて安心しました。MVは当然楽しみですが、「鷹森ツヅルの解釈」というバイアスがかかって、曲と向き合うことになってしまいます。そのため、カンニングせずに素の自分の解釈を出力する為には時間との闘いでした。鷹森さんが長い期間をかけて熟成させてきたものを、数日で読み解くのはかなり大変でしたし、全てを解明できたとは到底思えません。
 この記事はあくまで私の独断と偏見で構成されており、特に音楽自体に対する考察が欠けています。この有り様では、楽曲自体に対する理解が片手落ちと言わざるを得ません。どれくらい欠落しているのか、その大きさを雄弁に語る資料を紹介します。次に引用するのは、RIAA(米国レコード産業協会)の音楽のレーティングに関するページを紹介した記事です。

「多くの場合、歌詞には何通りもの解釈が成り立ちます。それは言葉にはさまざまな意味があるためです。また、歌詞だけを曲と切り離して解釈することもできません。同じ歌詞に、大音量の鋭いサウンドが付く場合と、ソフトで滑らかなサウンドが付く場合とでは、解釈の仕方が異なります」

SOUND ZOO「Apple MusicやiTunesのeマークの意味とは?『露骨な表現』」より
https://studentwalker.com/apple-music-e

 私はApple Musicを利用しませんし、RIAAのサイトでも同じ記述は見つけられませんでしたが、主張は納得のいくものです。コード進行などの解説やコード進行の解釈などを加えた上での考察をしてくれる視聴者の出現を願ってやみません。
 さて、長々と書いてきましたが、この辺で締めようと思います。久しぶりに文章を書いたので、拙い部分が散見されたかと思いますが、ここまで読んでいただけて大変幸せです。
 どうもありがとうございました! それでは!

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